まんだら堂やぐら群の、春の限定公開に行って来ました。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、名越に北条時政の屋敷があって、そこに比企能員が、時政に逢いに行き謀殺されるシーンがありました。
歴史に詳しくなかった頃は、私は勝手に、まんだら堂に時政の屋敷があったのかと、想像していました。「山の中に屋敷があるなんて、鎌倉武士の体力凄い!」とバカなことを思っていました。地元民なので「名越」範囲は広いことは知っていたのですが、まんだら堂やぐらを、連想してしまっていたのでした。
北条時政の名越の屋敷は、一説によると、大宝寺の近くだそうです。ここなら平地なのでお屋敷が建てられます。(体力が無くても住めます)
2022年の5月の、まんだら堂やぐら群公開に合わせて、名越の切通しへ行ってきました。その時のレポートと、名越の切通し・まんだら堂やぐら群の歴史を、当記事では書いております。
私、江戸紫は鎌倉に52年住んでいます。中世史の研究書を読むのが趣味ですが。(つまり歴史オタクです)当ブログは、当ブログは、最近の歴史学の研究成果を、できるだけ取り入れて書いています。

名越の切通し
アクセス
名越の切通し 鎌倉方面の入り口
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口より徒歩20分
バ ス:鎌倉駅⇔緑ヶ丘入り口 長勝寺 下車5分
まんだら堂やぐら群 鎌倉方面入り口
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅
バ ス:鎌倉駅⇔緑ヶ丘入り口 緑ヶ丘入り口 下車8分
名越の切通し まんだら堂やぐら群 逗子方面入り口
最寄駅:JR横須賀線線逗子駅・京浜急行逗子葉山駅
バ ス:逗子駅⇔亀が岡団地循環 緑ヶ丘入り口 下車8分 亀が岡団地北 下車5分
名越の切通しと、まんだら堂の歴史。
そもそも、「切通し」って何?
切通しは、山の尾根を掘り下げて、通り易くした道です。
鎌倉は四方が山に囲まれて、急峻な山道を超えないと、鎌倉に入れませんでした。鎌倉幕府北条執権は、人と物の行き来のために整備したのでした。
執権北条泰時、時頼は、御家人達に区分分担で工事をさせました。執権の屋敷跡から御家人名と区分を書いた、木簡が出土しています。
鎌倉には「鎌倉七口」という、7つの切通しがあります。
極楽寺・大仏・化粧・亀谷・巨福呂・朝夷奈・名越

名越の切通し
名越の切通しは、鎌倉と三浦半島をとを結ぶ、古代の「古東海道」と推測されます。古事記で日本武尊が通ったのはこの道かも知れません。
古東海道は稲村ケ崎ー御霊神社ー甘縄神社ー元八幡ー辻ノ薬師、海岸線が今より奥にあった昔の海岸沿いを通り、三浦半島へ行く道と推測されます。
切通し周辺には、切通しの防衛と考えられる平場や切岸。やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も周辺にあります。歴史的景観を良く残している場所です。
昭和41年(1966年)に国史跡に指定されました(昭和56、58年に主として逗子市域、平成20、21年に鎌倉市域が追加指定されました)。

名越の切通し
名越の切通しで一番幅が狭い所です。まんだら堂やぐら群から逗子方面へ下ったところにありました。鎌倉武士が馬で疾走してきたらと想像すると、ぞくぞくします。
鎌倉に「やぐら」は、沢山あるけれど何なの?
鎌倉でよく見かけるのが、崖をくりぬいた「やぐら」です。
「やぐら」は沢山あり過ぎて、ぞんざいに扱われて、物置にされていたりします。私は子供の時に、先の大戦で防空壕として使われたと、聞きました。私は今でも「やぐら」を見ると防空壕として使ったのだと思ってしまいます。(たぶん私だけ?)
やぐらは、横穴式のお墓・供養塔の場所です。三浦半島のほかに対岸の房総半島でも見られます。
鎌倉時代の葬送は、初期の頃は、源頼朝や北条義時が法華堂に葬られていて、他の地方と同じでした。鎌倉の人口が増えた13世紀から15世紀には、墓はやぐらに作られました。当時の人は遺骸・遺骨へのこだわりがありませんでした。供養の場として五輪塔や板碑が、たてられ場合もありました。
なお庶民は、海岸の砂浜に直接埋められました。「ビーチに行く時は、ゴム草履を穿け、骨が刺さって病気になるぞ」と子供の頃、夏休み前に先生に注意されました。発掘も進んだので今は大丈夫なのかな?
まんだら堂やぐら群
名越の切通しに接して、まんだら堂やぐら群があります。
やぐらの名前の「まんだら堂」は、何時の時代にあったのか、全く分かっていません。「まんだら堂」の名が確認できる最も古い文献は、文禄三年(1594年江戸時代)の検地帳です。畠の地名として記されているので、まんだら堂は無くなっていたと思われます。
各やぐらは、2m四方と小規模で、単純な構造です。同じような大きさの、やぐらが並んでいて他のやぐらに比べて、単調な印象を持ちました。
調査ににより150穴以上の、やぐらが確認されていて、やぐらを良い状態で見ることのできる遺跡は鎌倉市内にも少なく、貴重です。
逗子市のホームページによると、やぐらの中の五輪塔のほとんどは後の時代に動かされています。実際に見て五輪塔は違和感を感じました。それでも中世の様子に近いと考えられます。
まんだら堂やぐら群の五輪塔は、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられました。
平成13、14年の調査で分かったことは、尾根の岩盤を大きく削って造った崖にやぐらを掘り、発生した大量の残土で、前方の谷を埋め立てて、平場をつくっていました。
奥にあります北西方向の、鎌倉側を向いたやぐら群の、前面平場では、柱穴などの遺構や、かわらけなどの遺物も多く発見されています。まんだら堂入り口付近の平場では、遺構、遺物ともごく僅かしか出土していません。
やぐら付近や周辺の平場などでは、遺体を火葬したと思われる跡も各所で確認されています。
出土した遺物から、鎌倉時代の後半(13世紀末頃)から平場の造成と、やぐらの掘削が行なわれました。室町時代の中頃(ほぼ15世紀いっぱい)まで供養されていたと考えられます。

まんだら堂やぐら群 五輪塔
参考サイト 逗子市サイト 国指定史跡 名越切通し
¥1,650- Amazon
こらむ 実際に行って来ました
2022年5月に、名越の切通しと、まんだら堂跡のやぐらに行きました。
まんだら堂は紫陽花の名所として有名だったので、5月の下旬にしました。2022年の紫陽花は花が遅くて、紫陽花の木があっても花が開いていませんでした。現在6月にまんだら堂は公開はしていませんが、いつか紫陽花の早い年に紫陽花を見に行きたいものです。
鎌倉側から徒歩で、名越切通し・まんだら堂を巡り、逗子側に抜けました。
名越の切通しへは、長勝寺近くの踏切から登ります。住宅地の坂道を登り山道に入りました。名越の切通しは、急な崖をよじ登るようなところがなく、きつくない山道でした。
名越切通しだけならば、50分くらいになります。足元はスニーカー・運動靴にしましょう。
まんだら堂やぐら群は名越の切通しのすぐ上にありました。写真で見たやぐらがありました。中世人が見たのと同じ光景が見れて、感動です。
3層のやぐらが2箇所あり、見ごたえがたっぷりありました。
やぐらの中に五輪の塔があって感動しました。やぐらの中に何もなくて、空っぽやぐらも多いのです。私は五輪の塔に違和感を感じたのですが、逗子市のホームページに、調査の結果、五輪塔は移動されていると書かれていました。
やぐらを上から展望できる場所もあって、なかなか楽しかったです。
名越の切通しに戻って逗子方面に向かいました。途中カッコいい所がありました。岩と岩との間隔が狭いところで、周囲の緑が綺麗な季節なので、神秘的に見えました。
住宅地の坂道を下り、亀が岡団地北のバス停に出て、逗子駅に出ました。鎌倉駅から、途中昼食をとっても、2時間くらいの行程でした。
逗子駅でバスを降りて、地元スーパーのスズキヤに行って、帰りました。地元の魚や、鎌倉の産品も多く売っていますので、逗子でお土産を買うときは駅前にあるのでおススメします。

まんだら堂やぐら群
名越の切通し まんだら堂やぐら群 アクセスデータ
観光情報
2022年の情報
webサイト | まんだら堂やぐら群限定公開 令和4年 名越切通し 概要 英語版 PDF |
住所 | 神奈川県逗子市小坪7丁目 |
入場時間 | 名越切通しは自由。 まんだら堂跡は公開時間 10:00~15:00 悪天候は公開中止 |
入場料 | なし、 史跡の維持管理経費に、任意の寄附があります。 |
トイレ | なし |
鎌倉方面のトイレは 妙法寺の入り口と、安養院の並びのローソンしかありません。詳しくは下のブログで。

名越の切通し、まんだら堂やぐら群へのアクセス方法
名越の切通し 鎌倉方面の入り口
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口より徒歩20分
バ ス:鎌倉駅⇔緑ヶ丘入り口 長勝寺 下車5分
まんだら堂やぐら群 鎌倉方面入り口
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅
バ ス:鎌倉駅⇔緑ヶ丘入り口 緑ヶ丘入り口 下車8分
名越の切通し まんだら堂やぐら群 逗子方面入り口
最寄駅:JR横須賀線線逗子駅・京浜急行逗子葉山駅
バ ス:逗子駅⇔亀が岡団地循環 緑ヶ丘入り口 下車8分 亀が岡団地北 下車5分

亀が岡団地北バス停
近くの名所と便利情報
長勝寺

妙法寺

安国論寺

大宝寺

安養院

別願寺

2022年10月23日初出
2022年11月17日YouTube追加