北条義時さん関係の名所を紹介します。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見て、鎌倉に来たいけれど、主人公の北条義時さんに、関係する名所だけ、行きたい人向けに、観光コースを考えてみました。
私、江戸紫は鎌倉に住んで52年、鎌倉・室町時代の歴史が好きで、記事は実際に足を運んで、鎌倉ブログを書いております。
大河ドラマ館も、パンフレットを見せると無料で入館できる、鎌倉国宝館にもよります。きっと北条義時さんに浸れる、ファンには楽しい一日になりますよ。
義時さんの観光コース、半日で回れます。
義時さんの、家(お屋敷2軒)と、職場(大蔵御所)お墓と立てたお堂(大蔵薬師堂 覚園寺)をまわります。
覚園寺に行くと境内が隠れ里のようで「義時さんって、こんなの好きなんだー」と実感できます。
鎌倉駅
⇩ 15分
鎌倉殿の13人 大河ドラマ館 鎌倉文華館鶴岡ミュージアム 鶴岡八幡宮境内 30分
⇩
鶴岡八幡宮 30分~1時間
⇩
鎌倉国宝館 30分
⇩ 10分 清泉小学校は大倉御所・鎌倉幕府の跡地です。
頼朝の墓・北条義時の法華堂の跡・大江広元の墓 20分
⇩ 20分
覚園寺 大倉薬師堂跡 30分
⇩ 15分
義時の屋敷跡 荏柄天神の参道そば、住宅街の中にあり石碑はありません。
⇩ 10分
宝戒寺 義時屋敷跡 20分
源頼朝に信頼されていた北条義時さん。姉の政子に呼ばれると直ぐ行ける、大蔵御所(鎌倉幕府)のそばに住んでいました。生活圏せまっ!
ざっくり足早に回って3時間で見れます。じっくり見学して、途中で荏柄天神と鎌倉宮にお参りしても4時間くらいです。
宝戒寺の後は、フリータイムにしましょう。小町通や若宮大路で、お土産買ってカフェでお茶するのもいいけれど。まだ時間があります。別の場所に行ってみましょう。
「鎌倉殿の13人」の鎌倉名所を全部まとめてみました。

時間があるので、他の名所も回りましょう。
おススメのフリータイム
北条義時さん関連の名所 まとめ
鎌倉殿の13人 大河ドラマ館
大河ドラマ館は鶴岡八幡宮境内にあります、鎌倉文華館鶴岡ミュージアムで開催されています。
撮影に使われた、衣装・小道具が展示されています。出演者のインタビュー動画も流れていました。出演者のサインコーナーもあります。
ショップでは、グッズの他に、定番お土産の鳩サブレー、鎌倉まめや、横浜のハーバーの記念パッケージが売られていました。
鎌倉殿の13人の世界にどっぷり浸れる、展覧会です。
鎌倉殿の13人 大河ドラマ館 鎌倉 オープン!早速行ってまいりました。

鶴岡八幡宮
頼朝が鎌倉に入った直後、治承4年(1180)10月に材木座の由比若宮(元八幡宮)より現在の地に移されました。
当時の鎌倉幕府の隣で、幕府の儀式が行われていました。静御前の舞もここで舞われました。
実朝が甥の公暁に暗殺されたのも、鶴岡八幡宮でした。義時はその後始末に追われることになります。
実朝暗殺の、義時黒幕説は、小説家の創作した小説の中の事です。現在の歴史学では否定されています。
鎌倉国宝館
鎌倉国宝館も、鶴岡八幡宮境内にあります。大河ドラマ館でもらうパンフレットを見せると、一回だけ無料になります。
入館するとまず目には入るのは、十二神将像です。平安時代から江戸時代の仏像で、十二支になぞられています。自分の干支の仏像を探してみましょう。
2022年は鎌倉殿の13人の企画コーナーがあります。
鎌倉国宝館 鶴岡八幡宮境内 国宝館に行くべきなの?仏像マニアは駆けつけましょう、アクセスデータ付き。

頼朝の墓・北条義時の法華堂跡・大江広元の墓
鎌倉幕府・大倉御所にの後ろの山に、頼朝の墓と隣にある、義時の墓だった法華堂の跡と大江広元の墓があります。
平安時代終わりから鎌倉時代はじめ、有力者が亡くなると、法華堂に葬られました。義時も没後すぐ法華堂が建立されました。
今行くと、法華堂の位置が分かるように柱が立っています。法華堂アプリでかつての様子が分かり、当時を再現できます。
法華堂跡(北条義時墓)西御門 鎌倉殿13人の義時の墓がありました。アクセスデータ 大河ドラマの義時の墓

源頼朝の墓 西御門 鎌倉観光の定番 初代征夷大将軍 頼朝の墓 アクセスデータ付き

白旗神社 西御門 頼朝の神社 アクセスデータ付き。


大蔵御所・鎌倉幕府跡の周辺
大倉御所・鎌倉幕府は清泉小学校にありました。
覚園寺 大倉薬師堂
当時の権力者は幾つもお寺を建てるのですが、義時さんは覚園寺の前身となった。大倉薬師堂一つしか建立しませんでした。
義時は夢の中で、十二神将の招杜羅大将が現れて
「今年の神事は無事に終わるが、来年の拝賀の日は、将軍家の、お供はしないように」
と告げました。驚いて起きると戌の刻(午後8時)で招杜羅大将は、戌神でした。
義時は即、戌の方角(西北)に土地を選び、十二神将を眷属にしている。薬師如来堂を建立することにしました。
弟の時房と長男の泰時に、幕府の公金を使って建てるのを反対されました。義時は
「薬師堂の事は、私の身の安全のためにするので、私の財産を使って作ります」
と押し切って建立しました。建保6年(1218)6月に完成。
覚園寺は鎌倉時代そのままの、自然が残る寺と言われています。同じ風景を義時さんも見たのです。
覚園寺 二階堂、鎌倉時代の面影がのこる寺 アクセスデータ付き。

大倉館推定地 北条義時邸跡
荏柄天神の参道の入り口の、鳥居付近の住宅地にあります。石碑・案内板は有りません。
義時さんは、こんな一等地に住んでいたんですね。勤め先の幕府に近い。
ここは今でも、岐れ道と呼ばれています。横浜市金沢区に向かう金沢街道と、鎌倉宮・永福寺に向かう道の分岐点です。

荏柄天神参道
宝戒寺 北条得宗家代々屋敷跡
北条義時の屋敷で、北条得宗家・代々の執権が受け継いでいったのが、鶴岡八幡宮前近くの宝戒寺でした。
宝戒寺は元弘3年(1333)に、新田義貞により滅ばされた、最後の執権、北条高塒まで代々の執権が住んでいました。
北条氏滅亡から3年後、後醍醐天皇に命じられた、足利尊氏により、北条一族を弔うために屋敷跡に作られた寺です、
宝戒寺 小町 萩の花で有名、アクセスデータ付き。

まとめ
北条義時さんの、屋敷・墓・作ったお堂を、調べて見ると、鶴岡八幡宮の東側に集まっているのに気が付きました。
これはコンパクトに回れると、観光コースを考えてみました。
頼朝・政子に信頼されていて、義時は家子専一(頼朝の寝室の警護隊長)でした。
大倉御所・鎌倉幕府から呼べばすぐ来る所に住んでいたんですね。
この中で覚園寺に行くのを、一番おススメしたいのです。義時の人柄が忍べます。
義時には、冷徹な政治家の一面がありました。東国の武士たちを守るために、鎌倉幕府を守り切った、義時は日本全国・天下の権力を手に入れたのでした。
覚園寺に行くたびに、北条義時は謙虚で、素直で、裏表のない、欲のない人間に思えてならないのです。
「鎌倉殿の13人」の鎌倉名所を全部まとめてみました。

山本みなみさんは、鎌倉歴史文化交流館の女性学芸員です。
2022年4月29日初出
2022年5月10日改訂