安養院 大町 北条政子の供養塔とつつじの寺、アクセスデータ付き。

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安養院雪ノ下・大町・小町
安養院
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北条政子の寺

安養院はつつじの寺として有名です。五月のゴールデンウイーク頃に、名越へ行く大町の通りを歩くと、見事なつつじの花が咲いています。刈り込まれたつつじの植え込みのお寺が、安養院です。

北条政子の供養塔があることでも有名です。

三つの寺が一緒になりました。

安養院は複雑な成り立ちをしています。三つの寺が一緒になった寺です。安養院という名称は北条政子の戒名になります。夫の源頼朝を供養するために、政子が建立した長楽寺(場所は鎌倉文学館の辺り)は政子を供養する寺になりました。その後長楽寺は兵火により焼かれました。この地には善導寺という浄土宗名越派の根本道場があり、長楽寺と合併し安養院と名乗りました。

安養院も火災にあい、比企谷にあった田代寺を移して再建されました。田代寺は頼朝仕えていた田代信綱によって建てられた観音堂でした。

見どころ

北条政子の供養塔で有名です。関東大震災で、建物が被災したので、古い建物は安養院にありません。

本堂と境内

本堂

正面に彫刻があり古いものかと思いましたら、昭和2年に建てられました。窓が大きくと取られ、堂内は明るいです。柱に軍刀の刀傷があります。戦争中、砲台工事の人が本堂に寝泊まりしていました。終戦の報を聞いて乱心した人が、刀を振り回して付けたそうです。

堂内には本尊の阿弥陀如像ほか仏像が安置されています。詳しいことは下の、梅かまくら特別参拝のところで。

安養院 本堂

安養院 本堂

安養院 本堂

安養院 本堂

安養院 本堂

安養院 本堂

日限地蔵(ひぎりじぞう)

山門をくぐって、すぐ左手のお堂です。日限地蔵は決まった日数内に願いをかなえるという、お地蔵さまで、鎌倉二十四地蔵菩薩霊場、第二十四札所です。

ここの地蔵様は、南北朝時代のものです。よく見るお地蔵様と違います。

安養院 日限地蔵

安養院 日限地蔵

樹齢700年の大きな槙

境内にひときわ大きな木があります。槙の木です。この寺を開いた良弁尊観のお手植えになります。

安養院

安養院 槙の木

仏足石

本堂左手にある仏足石は、鎌倉最古です。

人丸姫の供養塔 平景清の娘

平景清は伝説の多い武将です。源頼朝暗殺を企て、鎌倉の仮粧坂の土牢につながれた伝説があります。歌舞伎では景清の娘・人丸姫が登場します。人丸姫の墓も各地にあります。鎌倉の人丸姫伝説は、人丸姫は鎌倉の父を訪ねて京都から下ってきました。父の死後尼となって、仮粧坂に向陽庵を作り、没後扇ガ谷の人丸塚に葬られたそうです。

扇ガ谷で住宅開発がおこなわれたとき、人丸塚はこわされ、安養院に預けられました。現在新しく五輪塔が作られたのでした。もともとの供養塔は右側の物です

安養院 人丸姫の供養塔

安養院 人丸姫の供養塔

北条政子の供養塔と鎌倉最古の宝筐院塔

本堂左手から、案内板にそって本堂の裏に行くと、2つの石の塔があります。

右の大きい宝筐院塔は徳治三年(1308)の銘が入った、鎌倉に残る最古の石塔です。安養寺の前身の善導寺の開山尊観上人の墓といわれています。

左側の小さい宝筐院塔は、北条政子の供養塔です。正面の文字は今でも読めます。

安養院 鎌倉で一番古い宝筐院塔 北条政子の供養塔

安養院 右 鎌倉で一番古い宝筐院塔 左 北条政子の供養塔

安養寺 北条政子の供養塔

安養寺 北条政子の供養塔 彫ってある文字は今でも読めます。

梅かまくら特別参拝で、本堂の仏さまに逢ってきました。

2018年2月6日に梅かまくら特別参拝で、安養院に行ってきました。一般人が本堂に上がれる年に一度の機会です。堂内は撮影禁止でしたので写真はありません。

三つの寺が一緒になっただけあって、仏様も他の宗派の仏さまがいらしたりと、ハイブリットでした。

仏像

本堂と本尊様の後ろ側にある部屋の、仏様を拝見しました。

本尊の阿弥陀如来像は光背が、浄土真宗の形式です。

阿弥陀如来像の後ろに立つ千手観音は、手は42本ですが千本の手を表しています。

二つの像の右側には馬頭観音、准胝観音。左側には不空羂索観音、聖観音が安置されています。

須弥壇の両脇にあるドアを開けると、本尊様の裏側の部屋にでます。こちらにも千手観音像や長楽寺の開山・願行上人像、田代寺の開山・尊乗上人像、田代信綱の位牌が安置されていました。

二つの北条政子像

安養院には教科書にも載る北条政子のお像があります。本堂右手に安置される政子像は昭和の初めに彫刻されたもので、最近修理されたそうです。出版社から写真の掲載依頼が来るそうです。

もう一つの政子像は本堂の後ろの部屋にあります。お坊さんが子供のころトラウマになったと言っていた、もっと古い像です。先の像より一回り大きく、塗装が剥がれていてお顔がよくわかりません。虫食いの跡もあり、すさまじい状態です。

出版社から古い像の写真の依頼が一度あったそうです。質疑応答の時に、作家の永井路子さんからの御指名であったと、お坊さんが答えていました。

お坊さんに聞いたお話

安養院は火災にあっているので、資料は焼けてなくなってしまいました。

安養院は浄土宗知恩院派で、近くにある浄土宗の本山・光明寺とは関係が薄いです。

安養院とは

宗派 浄土宗

山号寺号 祇園山安養院田代寺(ぎおんやま あんよういん たしろじ)

創建 嘉禄元年(1225)
開山 良弁尊観
開基 北条政子
本尊 阿弥陀如来

鎌倉三十三観音霊場 第三札所 千手観世音菩薩

もとは良弁尊観(りょうべんそんかん)が開いた浄土宗名越派善導寺(ぜんどうじ)地だが、同寺は元弘3年(1333)、鎌倉幕府滅亡の際、戦火で焼失した。

嘉禄元年(1225)、北条政子は夫頼朝の菩提寺として笹目谷に祇園山長楽寺を建立したが、同年死去、その後、長楽寺も幕府滅亡とともに焼け落ちたためこの地に移り、善導寺とひとつにした。しかし延宝八年(1680)に寺は再び焼失。頼朝につかえた田代信綱が建立した田代寺の観音堂を移して再建された。この歴史が安養院を祇園山安養院田代寺という由来である。

鎌倉の寺 小事典

アクセスデータ

webサイト:なし
住   所:神奈川県鎌倉市大町3-1-22
電   話: 0467-22-0806
入場時間 : 8:00~16:30 7/8 12/29~31は拝観不可
拝 観 料: 100円
御朱印受付: あり

アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口 徒歩15分

バ ス:京急バス 鎌30鎌倉⇔新逗子 名越四つ角 2分

京急バス 鎌31鎌倉⇔緑ヶ丘入り口 名越四つ角 2分

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2017年7月24日初出
2018年2月15日URL変更加筆改訂

2022年1月31日改訂

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