英勝寺 扇ガ谷、水戸徳川家ゆかりの鎌倉唯一の尼寺 アクセスデータ付き。

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英勝寺 山門扇ガ谷・佐助 鎌倉駅西口
英勝寺 山門
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水戸徳川家の菩提寺で、鎌倉唯一の尼寺です

室町時代の有名な武将、太田道灌どうかんの屋敷が、この鎌倉・亀ヶ谷の地にありました。道灌の子孫で徳川家康の側室のお勝の方は、家康の死後出家し英勝院と名を改め尼になりました。英勝院は家康との子、市姫を生みますが僅か4歳で早世しました。不憫に思われた家康は、水戸徳川家初代の徳川頼重(水戸光圀の父)の養母にしました。後に英勝院が寺を作りたいと希望した時、先祖の地に寺を創建し、水戸徳川家が協力したのでしました。江戸時代は代々水戸徳川家のお姫様が住職をしています。

英勝寺は現代も尼寺です。水戸徳川家の菩提寺で寺格が高いお寺です。上品さが香る花の寺です。春には椿・藤、夏には紫陽花・桔梗、秋は彼岸花と紅葉。冬は水仙と梅など花の寺として知られています。

見どころ

英勝寺は江戸初期の、江戸時代初期の創建当時の華やかな建築が残されています。日光東照宮が建造されていた時期で、英勝院をお祀りする祠堂は東照宮のように彩色され金具で装飾されています。建てたのは徳川の大工です。浄土宗ですが鎌倉伝統の禅宗様式で建てられました。江戸の大名文化がしのばれる豪華な建物が今に残るお寺です。

寺の奥には、洞穴や竹林があり変化のある境内です。鎌倉で流行の「insutagram映え」するお寺の一つです。鎌倉駅からも小町通りからも比較的近いので、お着物で鎌倉めぐる観光に良いお寺さんです。

惣門(そうもん)

鎌倉駅から英勝寺に向かっていくと、こちらの門が見えます。お寺の敷地と外の敷地を区切る、一番外側の門で、惣門(総門)といいます。普通のお寺ではここから出入りするのですが、徳川様のお寺なので、下々の者は、塀に沿って歩いて通用口から入ります。(笑い!管理上だと思いますが)年に何度か惣門を開ける日もあるそうです。

英勝寺 総門

英勝寺 総門 内側から見た写真

英勝寺 入り口

英勝寺 入り口

鐘楼 はかま付の鐘つき堂は格式が高いのです。

入場券を買って順路通りに塀の方の道を仏殿方向に行くと、スカートを穿いたような建物が目に入ります。間口奥行きとも小さな建物です。英勝寺の他の建物と同じく銅板葺きの屋根。軒にそりがありません。二階建ての鐘つき堂で、二階に鐘があり高欄を回しています。

一階部分板壁が斜めについていて、袴腰はかまごし鐘楼といいます。鐘を鳴らすときは、一階の袴のなかに人が入り、二階から下がった綱を引いて、鐘を鳴らします。

江戸時代寛永二十年 袴腰付き鐘楼 3間×2間 入母屋・銅葺き 丸柱 出組

英勝寺 鐘楼

英勝寺 鐘楼 はかまつきの鐘つき堂は格式が高く、鎌倉ではここだけです。

仏殿

英勝寺の建物は徳川家お抱えの、上方系の大工が手がけました。その中でも最も精緻で上品なのが仏殿です。

仏殿の規模は三けん、屋根は裳階もこし付の二重屋根ですが、そりがありません。禅宗様式で土間になっています。内部の床は正方形の石を碁盤の目に敷いていまうす。中央は鏡天井になっています。蟇股には山門と同じく十二支の動物たちが彫刻されています。

お参りするときは障子を開けて、御本尊様のお顔を拝見して拝みましょう。本尊は徳川家光が寄進したといわれる、阿弥陀三尊像です。煌びやかですね。お堂の中も覗いて見ましょう。尼寺らしく天女の極彩色の壁画が描かれています。鎌倉の他のお寺では見られないものです。後から来る参拝者の邪魔にならないように、拝見しましょう。

江戸時代寛永十三年 土間仏堂裳階付 5間×5間 寄棟・銅板葺き 角柱 出組詰組

英勝寺 仏殿

英勝寺 仏殿

英勝寺 仏殿

英勝寺 仏殿

英勝寺 仏殿

英勝寺 仏殿

山門

山門は関東大震災(大正十二年1923)で倒壊しました。この部材を素封家買い二年をかけ屋敷内再建されていました。平成十三年(2001)より山門復興活動が始動しました。平成十五年(2003)部材のまま神奈川県重要文化財に指定され。平成19年 (2007) 7月復元工事開始、平成21年 (2009) 12月上棟式があり、平成23年 (2011) 5月落慶式が行われました。

山門は棟札によると、水戸初代藩主徳川頼房の子、讃岐高松初代藩主松平頼重により、寛永二十年(1643)に建立されました。禅宗様を基本に、正面は三間(約 6.4m)あり、二階建ての二重門となっています。見どころは、一階は仏殿と同じく蟇股に十二支の動物の、精緻な彫刻があり、二階には高欄をめぐらし、格狭間風の輪郭をもつ花頭窓があります。建長寺や円覚寺にも二重門はあり、圧倒的な大きさで迫ってくるのに対し、英勝寺の山門は繊細でやさしい印象です。

山門の二階は、見学できないのです。仏さまがお祀りされています。阿弥陀如来と右に観世音菩薩、左に勢至菩薩。さらに両脇には十六羅漢が祀られています。現在、十六羅漢は11体で、保存状態の良い4体は鎌倉国宝館に寄託されています。

江戸時代寛永20年 3間×2間 入母屋・銅板葺き 丸柱 二手先詰組 扇垂木

英勝寺 山門

英勝寺 山門

英勝寺 山門

英勝寺 山門

唐門 平唐門形式

英勝院を祀る祠堂への、入り口に建つ門です。江戸初期の立派な唐門です。祠堂や山門に隠れて注目しない参拝客も見受けられます。安土桃山の風を継いだ江戸初期の華やか門です。見れば見るほど、宝物のように思えます。

唐門というと、大きな曲線の破風を正面に付けた向唐門むこうからもんを、思い出します。こちらは唐破風が横向きに屋根に付いた、平唐門ひらからもnです。門の間口は2m奥行きは1m程の尼寺らしい小ぶりな門になります。欄間の牡丹の彫刻が精緻で上品です。柱は柱の上下を細くする禅宗様式で使われる粽柱ちまきはしらです。英勝寺は浄土宗ですが鎌倉らしく禅宗様式取り入れています。

江戸時代初期 平唐門 1間×1間 切妻・銅板葺き 丸柱 三斗

英勝寺 唐門

英勝寺 唐門 江戸時代の初めの作

英勝寺 唐門

英勝寺 唐門 扉

英勝寺 唐門の扉の
格狭間(きょうざま)の刳り抜き

祠堂(しどう)

唐門をくぐり石段を上がった先に、網入りガラスの鞘堂に保護されているのが祠堂です。中が良く見えないのが残念です。中には日光東照宮さながらのお堂の扉が見えます。

開基の英勝院の一周忌に建てられました。英勝院の遺骨を納めた石造り阿弥陀三尊像の前に建てられています。規模は間口奥行きとも三間の、宝形造りほうぎょうづくり、柱は金色、壁は黒漆、垂木は朱漆、そのほかは繧繝うんげん彩色と東照宮程ではありませんが、極彩色でありながら派手にならないお堂です。禅宗様式ですが蟇股など和様も取り入れられています。

英勝寺 祠堂

英勝寺 祠堂

洞穴?

山の方にこのような洞穴がありました。ここから入れるようです。次回行ったときは穴に入ってレポートします。

英勝寺

英勝寺

竹林と書院

英勝寺には姫御殿という、大きな武家御殿がありました。ここに大名家からきたお姫様の尼住職さんが住んでいました。僧侶の生活の場である書院・客殿は他の寺院ではみられない御殿形式の建物だったそうです。

残念ながら御殿はなくなってしまい。跡地は竹林になりました。書院では抹茶席があります、こちらで一服されてはいかがでしょうか。(お茶券は入場券売り場で。)

英勝寺 竹林

英勝寺 竹林

こらむ

昔は非公開寺院でした。

今から1980年代には、英勝寺は非公開寺院でした。鎌倉祭りの折りに特別公開されて一度行ったことがありました。英勝寺のお茶会に徳川家の当主が来るという、噂を聞いたこともあります。観光寺院にしない徳川様のお寺はすごいなと思っておりました。

英勝寺 竹林

英勝寺 竹林 この辺りに武家の御殿形式の大きな建物がありました。

英勝寺 本堂 正面扉 蝉の金具

英勝寺 本堂の正面扉のセミの金具

英勝寺とは

宗派 浄土宗

山号寺号 東光山英勝寺(とうこうざん えいしょうじ)

創建 寛永十三年(1536)江戸時代
開山 玉峯清因
開基 英勝院尼
本尊 阿弥陀如来

東光山英勝寺は現存する鎌倉唯一の尼寺である。四季の花が絶えることのない花の寺は近年まで非公開だったが、現在は拝観できるようになった。

開基である英勝院尼は太田道灌から太田道灌から数えて四代目の孫康資の娘。お勝の方と呼ばれ、徳川家康に仕えた。水戸家初代徳川頼房の養母をつとめ家康の死後出家し、英勝院と号した。

寛永十三年(1636)三代将軍家光から先祖太田道灌の土地をうけ。英勝寺を建立。水戸家初代の息女・玉峯清因を開山に迎えた。英勝院没後は水戸光圀によって祠堂(県重文)完成の折には光圀も来訪している。以後水戸家ゆかりの寺として代々水戸家の姫君が住職をつとめた。

昔は水戸御殿と呼ばれたほど格式の高い寺で、三葉葵の紋を掲げた総門(県重文)の両側には黄土色の築地塀が続く。総門が開くのは英勝院の命日のみで、普段は通用口から境内に入る。

鎌倉の寺 小事典

アクセスデータ

webサイト: http://www.kcn-net.org/bunjo/eishoji/index.html
住   所:神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-16-3
電   話: 0467-22-3534
お 休 み:木曜日
入場時間 : 9:00~16:00
拝 観 料: 一般300円 高校生200円 中学・小学生100円
御朱印受付: あり 御朱印帖あり

アクセス方法

最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 西口 徒歩15分

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2022年2月2日改訂

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