こじんまりしたお寺で、前を通り過ぎてしまいました。
別願寺は、小さくてお寺がここに、あるなんて気が付かないお寺です。私なぞずーと、仏壇屋の駐車場かと思っていました。向かい側の上行寺がド派手なので対照的です。よく見るとお寺らしく、入り口に石仏があります。鎌倉のお寺です。こじんまりしたこの寺も、歴史に関わりがありました。
別願寺の特徴
☆藤の花の名所
☆鎌倉時代の鳥居が彫刻された石の宝塔、足利持氏の供養塔
☆室町時代クラスタ様必見、鎌倉公方の関連寺院
☆鎌倉三十三観音霊場
☆作家広津和朗が大正時代に、下宿していた。
行ってびっくり、小さなお寺なので驚かないでください

別願寺 本堂 屋根にお寺らしい装飾があります。
見どころ 足利持氏の供養塔
本堂の左手の墓地の中に、鎌倉公方・足利持氏の供養塔があります。鳥居が4方向に彫られて印象的な宝塔でした。
持氏は足利将軍義教と対立し永享十年(1438)関東管領・上杉憲実との合戦になりました。永享の乱。合戦に負けた持氏は出家し、世田谷区の永安寺に幽閉されました。義教は許さず永安寺を攻撃、持氏は切腹しました。関東での戦国時代の幕開けとなりました。
大きな石塔です。4つの鳥居が浮き彫りされ、鳥居の真ん中に縦に閂があります。歴史好きな人は、足利持氏の霊を封じるためとか推理されています。
この石塔は、技法などから鎌倉時代の後期に作られた説があります。足利持氏は室町時代ですので、別の目的で当初は建立されたのかも知れません。

別願寺 宝塔

別願寺 宝塔
別願寺とは
宗派 時宗藤沢清浄光寺末寺
山号寺号 稲荷山超世院別願寺(とうかざん ちょうせいいん べつがんじ)
創建 弘安五年(1282)
開山 覚阿公忍
本尊 阿弥陀如来
鎌倉三十三観音霊場 第十三札所 魚籃観世音菩薩
弘安五年(1282)、公忍上人(のちに覚阿)が真言宗能成寺を時宗の帰依し、別願寺とした。
鎌倉における時宗の中心となった、別願寺は、室町時代は足利一族が深く進攻し、鎌倉公方代々の菩提寺とした栄えた。(略)
境内に残された足利持氏の供養塔といわれる大きな石像の供養塔は当時の栄華を物語る。塔の四方に扉のある鳥居が浮き彫りにされた珍しくもので、鎌倉時代後期のさくといわれている。
本堂には、本尊の木造阿弥陀三尊像と珍しい魚籃観音像が安置されている。
鎌倉の寺 小事典
アクセスデータ
webサイト: | なし |
住 所: | 神奈川県鎌倉市大町1-11-4 |
電 話: | 0467-22-8501 |
入場時間 : | 特になし |
拝 観 料: | 無料 |
御朱印受付: | あり |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口 徒歩12分
バ ス:京急バス 鎌30鎌倉⇔新逗子 大町4丁目 2分
大町大路沿い
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八雲神社 大町
上行寺
別願寺
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近くの寺
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妙長寺
鎌倉の、ヴィジュアルの良いところを紹介する、ガイド記事を、目指して書いています。
ブログを書くときは、実際に神社仏閣に行って、情報を足で歩いて探して書いています。今のところ有名な名所が、抜けていますが、ご容赦ください。鎌倉市内の観光エリアの寺院はすべて取り上げる予定です。
当ブログ管理人 山本は鎌倉に住んで47年になります。鎌倉市民だから知っている、情報も書きます。他で読むことのない、鎌倉観光情報サイトにいたします。
鎌倉らしい日本の古典デザインの、家具をデザインしたいと思っています。鎌倉の名所めぐり、勉強になります。デザインのヒントもいただけて、ワクワクしながら、取材しています。