中世の美術品を天皇家の「まなざし」で解く
鎌倉に住んでいると、鎌倉武士の方向から美術をはじめとして、芸術・文芸を照らす見方をしてしまいます。私個人的には、鎌倉時代の美術品をモチーフにしたインテリア製品を何とか製造したいと思っていますので、京都の公家ならぬ、天皇に関わった美術品にはどんなものがあるか興味深々です。
「天皇の美術史 2 治天のまなざし、王朝美の再構築: 鎌倉・南北朝時代 」
を読んでみました。京都から光を当てるとまた、違った光景が見えました。最新研究をふまえての天皇と美術品の関係は、興味深いものがありました。
この本は二本立てになっており、第一章が、鎌倉時代篇で「宮廷芸能としての絵画ー鎌倉時代の世俗絵画」著者は伊藤 大輔で。後白河天皇、後鳥羽天皇と両統迭立時代。第二章が、「十四世紀美術論ー後醍醐天皇を中心にして」著者は加須屋 誠です。
第一章「宮廷芸能としての絵画ー鎌倉時代の世俗絵画」
本章が担当する世俗絵画に限ってみれば、日本美術史は、この十二世紀に始まると言っても過言ではない。この時期になってようやく具体的な考察が可能となる実作品がある程度数を揃えて伝存するようになるからである。しかも、現存作品に依拠する限り、日本における世俗画の歴史は、いきなり山の頂から姿を現す。「源氏物語絵巻」「信貴山縁起絵巻」「伴大納言絵巻」「鳥獣戯画」のいわゆる四大絵巻は、現在でも絵巻物作品において最高の評価を得ている。
9ページ
この文章で第一章ははじまりました。いきなり最高傑作が出て来て、うぉー凄いことになっていると私は思ってしまいました。冷静になって、仏教・神道関係の平安美術品は知っていたけれど、絵巻物は平安時代も院政からだ。平安時代の完成度が高くなかった絵巻物も見てみたい気がする。
後白河法皇の、加差禁令と風流、ゆれうごく2つの美。
後白河上皇は今様をまとめた「梁塵秘抄」の著作で、芸術志向の人です。「絵巻物狂い」と研究者によりされているようです。(この本では否定的)のめり込む性格なので、「政治狂い」「政界復帰狂い」とともに、興味をもったらトコトン「絵巻物狂」あったかも。
後白河法皇は「風流」と「加差禁令」という2つの美意識がありました。
「風流」は奈良時代では都会的な洗練された趣味の意味。この時代は祭礼・法会・歌合・物合などハレの場の飾りや作り物、衣装などが豪華絢爛なこと。
「加差禁令」は秩序維持のため、行き過ぎた「風流」は禁止されました。
「加差禁令」は絵画では「鳥獣戯画」「紫式部日記絵巻」の墨だけで描く白描画を生み出しました。のちの侘びさびにつながる、美学の誕生です。後白河法皇は本を読むと、2つに美学を行きつ戻りつして、文化が2重レイヤーの時代です。鎌倉時代の芸術に深みがあるのはこの辺なんでしょう。
持明院統と大覚寺統、芸事の棲み分けがされていた。
両統迭立時代、宮廷文化は各統で分かれていたとは。
持明院統は、後鳥羽天皇・順徳天皇が、帝王の楽器とした琵琶を伝承して、秘曲伝授をした。大覚寺統は笛と郢曲を家の芸にしました。
和歌では大覚寺統が、伝統的な二条派で、勅撰和歌集を多く制作、持明院統が京極派に接近しました。女官の日記文学が「とわずがたり」「中務内侍日記」「竹むきが記」が生みだされました。
文化・芸術を政治のパワーバランスに持っていくところが、日本的。その後武士もやります。
第二章「十四世紀美術論ー後醍醐天皇を中心にして」
後醍醐天皇が何を見て、どう見られてきたのか、「まなざし」による個人史が書かれています。面白かったのが、後醍醐は重宝・霊宝を密かに集めていて、隠岐に流される時に発見され後伏見天皇と花園天皇が対策を講じていたり。スピリチュアルな宝物を集めるのが好きだったようです。
配流先の壱岐を脱出した、後醍醐天皇は出雲大社に、三種の神器の宝剣の代わりにするため、御剣を差し出すよう、命じています。京都を目指す道すがら、播磨の国の円教寺に赤栴檀五代尊像を所望し懐に入れたそうです。あちらこちらからパワーのありそうなお宝を集めていました。
天皇でありながら、加持祈祷にのめりむ(在位中は僧侶になれない)、特異な天皇だった後醍醐天皇。天皇即位は絶望的な状況から、鎌倉討幕そして建武の親政の失敗、吉野へ落ちるという波乱万丈な生涯と美術品の関わりが書かれています。
カオスをカオスとして、受け止める中世史研究。
今年話題になっているベストセラー、中公新書の「応仁の乱」。同じく中公新書で今月発売になる「観応の擾乱」。このところ、南北朝・室町時代の歴史が歴史クラスタさんに注目されています。英雄もなければ、極悪人もいない。ここにいる人たちは身分の上下関わらず、情もあれば、合理的に動ける人間です。戦争は始まり、長期化していきます。これを理解するには、カオスをカオスと受け止めるしかありません。
歴史研究者は、隣接する日本文学研究方面から見ると、大変だなと思います。戦後のマルクス史観の後遺症が最近まで残って、この本でも、京都の天皇・上皇と鎌倉の頼朝らの武士は、文化面では対抗していたという、従来の説を否定しました。好みの差があったにせよ、武士であっても、貴族文化を享受していたのです。(鎌倉に住んでいるので、鎌倉武士は和歌も平安文学も有職故実も、尊重していたのだと、感じています。)
歴史をある方向に意図的に持っていこうとせず、地道に、史料を読み込んで、当時の人たちの実態を掴んでいってほしいものです。近頃、織田信長は普通の人だった説が出てきました。いい傾向だと思います。研究が進んで一回り回って。織田信長はやはりカリスマヒーローだという説が出てきても、それでいいんです。研究者には地道に当時にの人たちの実態を明らかにしてもらいたいです。
日本という国で古い伝統藝術をパトロネージュすること
両統迭立時代に、持明院統と大覚寺統が応援する芸術を分担。観応の擾乱で南朝に拉致された、光厳上皇・光明上皇・崇光上皇らは、「万葉集」「源氏物語」を取り寄せて読んでいました。天皇家は本当に芸術好きです。現在の皇室は日本文化の家元かな。
伝統芸術をパトロネージュすると、強い力を持つようです。天皇家は自然にそうされています。今年の春ごろから出光興産の外資との合併がでています。出光といえば日本資本の石油会社で石油ショックのころは、日本を裏切らない石油会社といわれました。(戦前のことがあるので、外資に石油を止められる恐怖があの頃ありました。)現在出光の創業家が、外資との合併に反対しております。創業家は強気だなと思いましたら、国宝「伴大納言絵巻」他日本美術を所蔵している出光美術館をもっているのです。私なぞ頑張れ出光美術館と応援してしまいそうです。
日本では、古い伝統芸術を応援すると、社会的パワーを得るようです。外国の事情は分かりませんので、あくまで日本では。
「天皇の美術史 2 治天のまなざし、王朝美の再構築: 鎌倉・南北朝時代 」
応仁の乱 – 戦国時代を生んだ大乱 (中公新書) 新書呉座 勇一 (著) 中央公論社 定価972円
出光美術館 水墨画の風
サントリー美術館 神の宝玉手箱
鎌倉歴史文化交流館
国立東京博物館 春日大社千年の至宝展
