友達に鎌倉を案内するときに、一番最初に連れて行くお寺です。
妙本寺に、10代・20代のころ、友人が遊びに来ると、鎌倉駅から妙本寺に直行しました。一番最初に連れて行って、駅前と妙本寺の、ギャップに驚いてもらいました。
人通りの多い若宮大路から、花が綺麗なおんめ様=大巧寺をぬけ、本覚寺前から山の方に折れると、長い坂道を上ります。そこは杉木立に囲まれた静寂の世界。
朱色の二天門をくぐると広い境内に、寝殿造のような、大きなお堂が見えます。
二代将軍源頼家の妻、若狭局とその子一幡の悲劇、比企一族滅亡の地です。そんな歴史を知らなくとも、ドラマティックな雰囲気が漂います。
深い緑に囲まれていると、鎌倉時代そのままだと思い込みそうです。
歴史好きなら、きっと源頼朝の乳母で権勢を誇っていた比企一族のお屋敷が、こんな広く山懐に囲まれたところにあったのを、実感できる空間です。
私は鎌倉に52年住んでおります。歴史も好きで、地元ならでは情報を盛り込んでおります。
2018年2月の梅かまくら特別参拝に、参加しました。祖師堂と本堂に上がりましたので、レポートも書きます。
アクセス
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅
徒歩 :鎌倉駅東口より8分
拝観料:無料 境内自由
妙本寺の見どころ
妙本寺の主な建物は、江戸時代のものです。市内でも、古建築が良く残っているお寺のひとつです
妙本寺は「昔の鎌倉はこうだったんだ!」思わせるお寺なのです。
頼朝の乳母の比企一族の屋敷跡で、二代将軍源頼家の子、一幡と竹御所、比企一族の墓があります。鎌倉時代の歴史の息吹が、感じられるお寺です。。
総門、鎌倉で一番大きな総門です。
総門(敷地の一番外側にある、大きな門)では鎌倉で一番大きな門です。
四脚門の形式の門です。円覚寺・建長寺の総門に並ぶ規模です。
近くに行くと存在感があります。
総門の古建築データ
- 時代 江戸後期
- 形式 四脚門 棟柱繁貫式
- 広さ 一間×二間
- 屋根 切妻・銅板葺き
- 柱と軒組 丸柱 三斗詰組 棟通撥束二
- 鎌倉市指定文化財

妙本寺 総門

妙本寺 総門を横から見る

妙本寺 総門
参道 緑が深い坂道、ここは是非、歩いて下さい。
鎌倉駅の近くこんな場所があったと、感動しそうな坂道です。深い木立で異世界感がします。
鎌倉時代に源頼朝はこの場所にあった、比企氏の屋敷に夏、避暑に来ていました。それもうなずける爽やかな風が吹いていました。

妙本寺 参道
二天門、弁柄色が印象的です。
山門のことを、日蓮宗では二天門と呼ぶそうです。四天王のうち、右ー持国天と左ー多聞天と二天を祀っています。
江戸時代の嘉永元年(1848)に祖師堂に続いて建てられました。弁柄塗りの門です、龍の彫刻は日本では珍しい、羽根のある龍です。
平成の修理で、鮮やかさを取り戻しました。秋は紅葉の木と相まって、鎌倉を代表する光景です。
二天門の古建築データ
- 時代 江戸時代 嘉永元年
- 形式 八脚門
- 広さ 三間×二間
- 屋根 切妻・瓦葺き
- 柱と軒組 丸柱 出組・蟇股

妙本寺 二天門 表

妙本寺 二天門 裏

妙本寺 二天門の羽の付いた龍の彫刻
一幡君の袖塚・比企一族の墓
二天門をくぐり、境内右手にあります。
比企氏一族は、源頼朝の乳母・比企の尼、二代将軍頼家の側室・若狭の局の実家でした。若狭の局に頼家の嫡子、一幡が生まれたことで、危機をいだいた北条時宗・北条政子により建仁三年(1203)滅ぼされました。
一幡は6歳で亡くなりました、焼け跡から見つかった小袖を供養塔したのが袖塚です。背後の山際には比企一族の墓が並んでいます。

妙本寺 一幡君の袖塚

妙本寺 比企一族の墓
祖師堂
祖師堂は日蓮上人が祀られています。鎌倉で一番大きなお堂です。本堂は別にあります。
江戸時代に、江戸で勧進が行われ、妙本寺の整備が進められました、祖師堂も、江戸の庶民たちのおかげで建てられました。
以前は茅葺入母屋の屋根でした。中央間が二十尺に近い五間大堂。柱が太く、禅宗様式で建てられています。
祖師堂の古建築データ
- 時代 江戸時代 天保九年
- 形式 五間堂 向拝つき
- 広さ 五間×六間
- 屋根 入母屋・瓦葺
- 柱と軒組 丸柱 三手先詰組
妙本寺の祖師堂のことを、あーでもない、こーでもないと、語っているブログです。


妙本寺 祖師堂

妙本寺 祖師堂

妙本寺 祖師堂 正面の彫刻
この龍のはムキムキなんです。
祖師堂前の海棠、中原中也・小林秀雄
この海棠(かいどう)の木の前で、 女性問題で仲たがいしていた、詩人・中原中也と、評論家・小林秀雄は、和解しました。
妙本寺・光則寺・安国論寺の海棠が、鎌倉三大海棠です。四月、桜の染井吉野が散ったタイミングで、海棠の花は満開になります。海棠の花を目当てて鎌倉散策も、良いと思います。

妙本寺 本堂前の海棠

妙本寺 本堂前の海棠
仙覚律師之碑
仙覚(せんかく)は鎌倉時代初期の天台宗の僧で、比企一族です。万葉集の校訂を、四代将軍九条頼経の命によりしました。
竹御所・源よし子・鞠子様の墓
祖師堂左手の石段を登り、墓地を一番奥まで行くとあります。
妙本寺は「源よし(女偏に美)子」という表記をしています、竹御所・鞠子様のお墓です。
竹御所は、数奇な生涯をおくっていることから、しばしば歴史小説に取り上げられています。二代将軍源頼家の娘として生まれ、源頼朝と北条政子の最後の子孫となった女性です。
生まれた翌年、父の頼家が殺されました。十四歳で実朝の正室坊門信子の、猶子になりました。寛喜2年(1230)に竹御所は二十八歳で、十三歳の四代将軍九条頼経と結婚し、文暦元年(1323)7月、三十二歳でお産で亡くなりました。
鎌倉時代は女性の地位が、高い時代でした。北条政子の後を継いで、鎌倉将軍家を継ぎました。政子の葬儀、追善仏事を竹御所は、主催したのでした。
竹御所の屋敷は、三代目執権の北条泰時の命令で、嘉禄2年(1226)に建てられました、場所は比企が谷の入り口の竹林でした。
参考文献
史伝 北条政子 鎌倉幕府を導いた尼将軍 (NHK出版新書) 山本みなみ Kindle \920-
kindle Amazon 楽天市場 Yahoo!ショッピング
鐘堂 本堂 客殿寺務所 方丈門
観光客は来ませんが、建物が良かったので紹介。関東大震災で崩落し、昭和になってから再建されました。本堂は、人びとが集まる場所にしたいという、当時の和尚さんの願いで、柱のない広い空間になっています。
客殿寺務所では、御朱印の受付や、万葉集の校訂をはじめてした、仙覚にちなみ素敵な万葉集の花の絵葉書を売っています。
客殿寺務所の先、一段下がったところに、公衆トイレがあります。

妙本寺 本堂

妙本寺 本堂

妙本寺 客殿寺務所

妙本寺 方丈門
蛇苦止堂(じゃくしどう)
名前も怖いが、伝説も怖い。
比企の乱で一族が滅亡した50年後、北条政村の娘が、霊に取りつかれて、もだえ苦しむ病気にかかりました。
一幡の母親の、若狭の局の霊が、蛇に生まれ変わり、比企谷の土中で苦しんでいることが分かり、若狭の局を供養するようになりました。
北条政村は執権二代の北条義時の息子で、元寇の乱では活躍した大物政治家です。
方丈門の左手の石段を登ってください。住宅があるので整備されています。

妙法寺 蛇苦止堂
おまけ 比企谷幼稚園
大きな総門のそばに、竜宮城か?というお堂が建っています。中から元気な子供たちの声がして幼稚園だと分かります。
比企谷幼稚園は昭和の初め、鎌倉で2番目に出来た幼稚園です。関東大震災の復興ということで、廃寺になったお寺の跡地に建てられました。この特徴的な建物は開園当時から使われています。
園内には開園の時から今も動いている、大時計もあるそうです。歴史ある幼稚園なんです。
私は小学生で、はじめてここに来た時、ここの幼稚園に行きたかった!と思いました。大人になっても通りがかるたびに、幼稚園はここに通いたかったよーと、今でも思います。
どうしてかというと、園舎が八角形で竜宮城みたいなんだもん。
比企谷幼稚園は、総門のそばにあります。なんか楽しそう。

妙本寺 比企谷幼稚園
梅かまくら特別参拝で、お坊さんから裏話を聞いてきました。
2018年2月13日の妙本寺の、梅かまくら特別参拝に参加しました。お坊さんから直接、妙本寺の話を聞き、祖師堂で法要に参加しました。
梅かまくら特別参拝の内容は各寺院にお任せしているそうです。妙本寺のはその中で、客殿で茶菓子のお接待があるので、評判が良いそうです。
祖師堂・本堂・客殿とも写真撮影が出来ませんでしたので、お写真はありません。
祖師堂で法要
格子戸がミステリアスで寝殿造りみたいな、祖師堂に上げてもらいました。正面の格子戸から出はなく、脇から入りました。
両脇の扉を開け硝子戸にしているので、中は明るかったです。堂内は無塗装の白木で、格天井に太い丸柱と外観そのままな素朴で力強い造りでした。木が黄土色でした。
内陣には祖師像(日蓮像)の厨子をのせた、大きな須弥壇がありました。須弥壇・お厨子とも彫刻と岩絵の具での彩色が施されていました。色鮮やかです。須弥壇にうさぎの彫刻がありました。
妙法寺の日蓮上人の像、祖師像は、日蓮の生きている時に制作され、一本の木から3体作られました。他の2体は池上と身延山にあったそうです。
はじめ厨子の中の祖師造が良く見えませんでした。法要がはじまるとお坊さんが須弥壇の階段をに昇り始めたのです。
太鼓を叩いたり、鐘を鳴らしたりと、一人で豪勢にやっていました。他の宗派とは違いますね。
厨子の左脇に坐ったお坊さんが、白い紗のロールカーテンを上に上げてお祖師様のお顔が拝見出来ました。若々しい日蓮上人でした。お顔が良く見えなかったのは紗の布が掛かってた訳なのでした。
お坊さんはその場所でお経を唱え、また白い紗を降ろしました。最後にお厨子に後ろを見せないように、後ずさりしながら須弥壇の階段をおり、終わりました。
その後堂内を案内してもらいました。
江戸時代の大きな寺院の屋根についていた、巨大な懸魚が堂内にありました。漆塗りで幕府肝入りで建設されたのですが、建設中止になり、妙本寺はこの寺の部材を貰い請けたそうです。

妙本寺 祖師堂 お堂へは脇から入りました。
本堂で涅槃像の解説
客殿に移動し、茶菓子のお接待を受けました。お菓子は鳩サブレーで万葉集の絵葉書もいただきました。
客殿の隣の本堂に移動しました。床の間には2月15日の涅槃会のために、大きな涅槃図が抱えられていました。
職員の僧侶から、涅槃図について説明して頂きました。猫は摩耶夫人が天上から投げた薬が木に引っかかったのを、取りに来た鼠から横取りしたので、涅槃図には描かれないそうです。知らなかった。
本堂左手に、桜の花が描かれた杉戸がありました。これは当時の住職さんが奮発したものだそうです。
妙本寺とは
- 宗派 日蓮宗
- 山号寺号 長興山妙本寺(ちょうこうざん みょうほんじ)
- 創建 文応元年(1260)
- 開山 日蓮上人
- 開基 比企大学三郎能本
- 本尊 十界曼陀羅御本尊
日蓮宗の霊跡本山、「比企の乱」で知られる比企一族の邸宅跡である。開基も比企能員の末子、能本と伝えられる。日蓮聖人帰依した能本が邸喜捨、妙本寺が建立された。
山号の長興は能本の父能員の法号、妙本は母の法号、日蓮聖人が身延に隠遁すると、日朝はここを拠点に布教を行い、やがて同寺は日朝門下の拠点として信仰を集めた。
鎌倉の寺 小事典

妙本寺のアクセスデータ
観光情報
2022年6月確認
webサイト | http://www.myohonji.or.jp/ |
住 所 | 〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1-15-1 |
電 話 | 0467-22-0777 |
入場時間 | 特になし |
拝 観 料 | 無料 |
御朱印受付所 | 客殿にある寺務所。万葉集の絵ハガキも販売しています。 |
トイレ | 公衆トイレが、本堂の近くにあります。 |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅
徒歩 :鎌倉駅東口より8分
近くの、神社・お寺・カフェ・史跡
小町大路(若宮大路の東を平行に通る道)周辺を、鶴岡八幡方面から、大町方面の順番になります。
宝戒寺


東勝寺跡 腹切り櫓(やぐら)

日蓮辻説法の跡

蛭子神社

宇津宮稲荷

珈琲 井川

本覚寺


妙本寺

ぼたもち寺 常栄寺

八雲神社 大町

教恩寺

2015年11月29日初出
2015年12月1日初出
2015年12月2日初出
2016年8月11日URL変更加筆改訂
2018年2月17日加筆一部写真張替
2019年4月18日写真追加改定
2022年2月14日改訂
2022年8月22日改訂