下記の文章は、私が絵を描くことについてです。愚痴、愚痴、愚痴となってしまいました。暗く書く気はなかったのですが。美術教育への恨みになってしまいました。私の通っていた高校は最低の高校です。
高校は美術部でした。本当は歌舞伎クラブか日本舞踊クラブに入りかったです。小さな高校でそれしか選らべなくて仕方なくいました。
そこで、油絵の具にまみれて、のたうような写実絵画を描く。顧問のせいで、想像画厳禁だった。コイツは、ばかか。100号も描かされた。まわりが、美大受験します。美術専門学校に行きますの連中ばかりで、デッサン力がないのが、コンプレックスでした。石膏デッサンは特にひどかった。その上、顧問は指導しない。クラブ活動にこない、薬中かアル中の先生だった。(今でも薬中だと思っている。)
日本史と文学にどっぷりつかった高校生で、文学部に進学するのが大事でした。クラブなんてどうでもよかったです。ここで絵を描くことにコンプレックを持ってしまいました。もう、楽しくお絵かきなんでできなくなりました。あのバカ顧問が、絵の描き方を少しでも教えてくれたら、違っていたかもと思います。顧問の絵を一度見たのですが、抽象画でした。1970年代で、抽象画大流行の真っ最中でしたから。自分だか好きに描いている。今思うと、ずるい。
今思うと、絶望的な美術教育しか受けていません。コンプレックスまでもらいました。美術の道は、はなから行くつもりはなかったですから、ダメージはないです。
部員たちだけで、毎日油絵を描いたのは、癒しの時間だったと思っています。
感じていたことは、あの顧問は、受験美術も、子供絵画教室の技巧を、憎んでいた。アカデミックそのもの技術も憎んでいたと思う。技術的なことはルノアールがやった、黒い絵の具を使わないこと、ひとつだけだった。
キャンパスに青春の感性をぶつけるヤツを、描いてもらいたい。先生はそんな絵を希望していたようですが。何も教えないのに描けるか。