講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」2022年6月11日開催。歴史の定説を覆されました。

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講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」歴史の展覧会・講演会
講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」
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福島金治先生、野口実先生、登壇。山本みなみ先生司会。 講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」

コロナ禍も終わりが見え、観光客が沢山来るようになった鎌倉です。今年2022年は大河ドラマで久ぶりに鎌倉が舞台になった、「鎌倉殿の13人」が放映されています。大河ドラマ館も開館した鎌倉でございます。

日本中世史をこよなく愛する、歴史マニア、歴史オタクの皆さま。

6月11日(土)に鎌倉生涯学習センターで開催された、

鎌倉歴史文化交流館×鎌倉国宝館×大河ドラ「鎌倉殿の13人」鎌倉市推進協議会 主催講演会

「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」

で聞いて来たことを書きます。

安達盛長の父親について、意外な人物を提示された、福島金治先生と

近くミネルバ書房より「北条時政:頼朝の妻の父ー近日の珍物か」が出版される、野口実先生が登壇しました。

私、江戸紫は鎌倉に52年住んでいます。鎌倉と中世史に興味を持ってこのブログを運営しています。

大学では国文科でしたが。卒論で慈円の「愚管抄」を取り上げ、この時代の「玉葉」などの史料の読み込みをしました。そんな経験もあり、歴史研究者のことをリスペクトしています。

聞き間違い、勘違いがあるかと思いますが、そこはご容赦ください。

鎌倉歴史文化交流館の山本みなみ先生の司会

司会は、鎌倉歴史文化交流館の学芸員、山本みなみ先生でした。注目の新鋭研究者の山本先生が司会をする贅沢な講演会となりました。

鎌倉駅近くの鎌倉生涯学習センターのホールは、コロナで一席毎に札が掛けられて、半分しか使えない状態で、140席満席でした。抽選となったようです。

講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」

  • 鎌倉幕府における安達盛長・景盛の役割 福島金治先生
  • 北条時政と京都 野口実先生

史伝 北条義時 ~武家政権を確立した権力者の実像 山本みなみ 

史伝 北条政子 鎌倉幕府を導いた尼将軍 (NHK出版新書) 山本みなみ

鎌倉幕府における安達盛長・景盛父子の系譜 福島金治先生

今回、安達盛長の父親として、従四位下・小納言・肥前守、藤原資隆を提示されました。

たしか安達(小野田)盛長は、三河の豪族小野田氏の出身で、九男坊で藤九郎と名乗っていませんでしたか。

福島先生は、金沢文庫に20年間お勤めの後、愛知教育大学に20年勤務しておられます。

先生は鎌倉に来ると、小町通のラーメン屋と連・売(若宮大路の農協の直売所)のそばの焼き鳥屋さんに必ず行くそうです。大泉洋さんが出演している、「水曜どうでしょう」も見ていたそうですよ。

吾妻鏡では、父親の盛長の記述は少ないですが、息子の景盛の記述は多い。

京都とのつながりが深く、平宗盛父子の預かり人であったり。

北条政子の信頼が厚く、承久の乱の政子の演説は、安達景盛がした

新史料「醍醐寺新要録」を読み解くことにより藤原資隆は、当時最大の荘園を持っていた八条院の別当でした。有職故実の著書もあります。

当時の習わしで、一族の中で地方の領地に下る者、京都で摂関家なので家来として働く者と役割分担がありました。

安達一族が北条執権下で、代々重く用いられたのには、京都との繋がりが深かったこともあったのでした。

講演会前に、鎌倉歴史文化交流館に行って来ました。安達一族の屋敷跡から出土した、まな板が展示されていました。安達氏の家来の当番表を書いた板を、調理用具のまな板にしたものが発掘されたものです。字が書かれているのが見えます。

福島先生も、このまな板について触れらていました。お正月ニューイヤー駅伝のコースの地名には、安達家の家来の苗字が多いそうです。安達一族は上州にも縁があります。

安達邸跡から発掘されたまな板

安達邸跡から発掘されたまな板

北条時政と京都 野口実先生

野口実先生は、京都女子大の名誉教授です。京都の歴史研究者達から見ると、今の歴史研究者が、東国武士と京都のつながりを軽視しているそうです。

野口先生は千葉県出身で、鎌倉国宝館でかつて研修されたそうです。

源頼朝の旗揚げの時の、北条武士団は数十騎しか動員できませんでした。三浦武士団・大庭武士団の足元にも及ばばない、小さな武士団でした。

北条時政は伊豆で何をしていたかというと、伊豆の交通の要所、狩野川沿いに屋敷をかまえ、国衙の在庁官人でした。つまり朝廷の出先機関の役人です。

源義経が京都から落ちて行ったあと、時政は京都守護になりました。頼朝が、朝廷や貴族との折衝がある要職に、妻の父親だという理由だけで、つかせたとは思えません。もとよりネットワークがあったのでしょう。

時政の後妻、牧の方は中央貴族の娘です。頼朝の舅として成り上がったと、云なくもないのですが。実は時政の嫡子で北条義時の兄、宗時の烏帽子親は牧宗親の可能性があります。牧氏との関係は深かったのです。

時政・牧の方夫婦は、元久2年(1205)娘婿の平賀朝雅の将軍擁立に失敗すると、北条政子・義時姉弟により、伊豆に失脚し追放されました。

今回野口先生が提起されたのは、時政・牧の方夫妻は、追放されたのではなく、自ら伊豆に隠遁生活に入り、政子・義時に道を譲りました。

伊豆に引っ込んだ。これ従来の説とは真逆ではありませんか。野口先生は「見事な政治劇」と表現しています。

理由としては

  • 伊豆での生活の中心は、願成就院?塔婆を建立している。
  • 伊豆の他に鎌倉にもお堂を持っていた。
  • 牧の方と政子との関係は良好で、政子が危篤に陥ったとき、京の貴族と結婚していた牧の方の娘が、京都から駆け付けた。
  • 牧の方の動向は時政の死後動向が不明となるが、安貞元年(1227)に上洛。時政の十三回忌を娘婿の藤原国通の屋敷で行った。多くの貴族が参列する。
  • 牧の方は法要のあと、娘や孫を連れ、天王寺、南都七大寺と長谷寺の参拝に向かった。

数日先に発売の迫った、「北条時政:頼朝の妻の父 ー近日の珍物か」の内容の講演でした。

野口先生の次の本は、和田義盛になるそうです。従来の和田義盛像を覆す、知的な義盛だそうです。

¥3,300-  (税込み価格 2022年6月14日Amazonでの価格)

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講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」

講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」

野口先生のtweeterで知りました。

野口実先生のtweeterをフォローしています。今回の講演会もそこで知りました。メールで応募して予約がとれました。どうやら抽選になったようです。


個人的な感想ですが、古建築の興味がありました。今は装束に興味があり、服飾史有職故実の書籍を読み漁っています。これが歴史研究とリンクしているのかというと、あまり繋がっていません。

史学、国文学、美術史、建築史、服飾史・・同じ史料を使って研究しているはずなのに、他分野の研究はあまり参照されていません。

福島先生が、上げた新史料は国文学者が探した史料でした。

史学には史学の、国文には国文の研究の方法があって、他分野の研究を評価しにくい現実があると思います。そこは何とかならないものかな。

このサイトを鎌倉の観光案内から、鎌倉の歴史・美術・服飾(装束を縫います)・建築インテリアのメディアに変えようかと思っています。

素人の知識で、鎌倉と鎌倉時代を横断して行きたいです。

鎌倉歴史文化交流館のエントランスの紫陽花

鎌倉歴史文化交流館のエントランスの紫陽花

京都人は偏屈だと云われておりますが、鎌倉人の方がよほど偏屈です。江戸っ子の私が見ても偏屈だと思います。鎌倉人は空いているスペースを見ると、紫陽花を植えたがります。

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