大河ドラマで注目 北条義時の墓所・法華堂がありました
2022年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」の主人公北条義時の墓、法華堂の跡地です。
場所は頼朝の墓の隣の谷です。鎌倉幕府のあった大蔵御所を見守るようにかつて法華堂が建っていました。
2022年は大河イヤーということで、隣に源頼朝の墓もあって、大人気スポット必須です。
法華堂あとから石段を登ると、重要人物、大江広元の墓もあります。広元の墓がここにあるのは、江戸時代に、子孫の毛利のお殿様が建てさせた家が「鎌倉殿の13人」ファンには必見の史跡です。
ガイド記事より少しディープに、歴史好きさんに向けて書きます。
私、江戸紫は大学で、愚管抄と玉葉と尊卑分脈を読んでいたので、歴史研究者をリスペクトしています。

法華堂跡(北条義時墓)
法華堂跡へのアクセス
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口より徒歩15分
バス :
京急バス 鎌倉駅 ⇔ 鎌倉宮・大塔の宮行、岐れ道下車 3分
京急バス 鎌倉駅 ⇒ 金沢八景駅行、鎌倉霊園太刀洗行、ハイランド循環行、岐れ道下車
3分

法華堂跡(北条義時墓)
見どころ
法華堂跡
源頼朝・頼家・実朝が住んだ大蔵御所の北側の山に、頼朝と2代執権北条義時が葬られた、法華堂がかつてありました。
鎌倉時代、幕府の有力者は頼朝の法華堂と義時の法華堂の2カ所を併せて参拝していました。
法華堂は本来は法華三昧(ほっけざんまい)の修行のための建物でした。21日間仏像の回りを経を唱えて廻り坐禅を組みました。
後に死者の追悼を目的に行われ、鎌倉時代初期には法華堂を墓所にするようになりました
残念ながら、二つの法華堂は今はありません。
頼朝の法華堂も義時の法華堂も何回も火事に遭い再建しました。頼朝の法華堂は明治時代まであり、取り壊されて白旗神社に変わりました。
義時の法華堂はは鎌倉時代の終わりまで存在したと推測されます。現在、跡地は国指定の史跡名勝天然記念物になっています。
2022年3月に再訪しましたら法華堂の跡が分かり易く、石で囲われ柱の跡に棒が立っています。法華堂の事が、イメージし易くなりました。
法華堂は三間四方(正方形の一辺が、4本の柱でその間が3つあるお堂)とよく見かけるオーソドックスなもので。出土品により瓦葺きと分かりました。
白旗神社 西御門 頼朝の神社 アクセスデータ付き。


法華堂跡(北条義時墓)
「北条義時法華堂AR」で法華堂を再現してみよう。
大河ドラマに合わせて、2022年1月に鎌倉市と湘南工科大学が「北条義時法華堂」を拡張現実(AR)で再現したスマートフォンなどのアプリを公開したと発表しました。
iPhone・Ipad向けでandroidには対応していませんでした。
現地の看板のQRコードを読み込むと、アプリをインストール出来。復元CGを実際の風景に重ね合わせて往時の法華堂が見れるそうです。
周辺を歩き回りながら建物内部の様子などをみれるそうです。自宅などからCGや法華堂の解説を読むことも出来ます。
CGの中で堂内に仏さまが、安置されていました。元は下の白旗神社の場所にあった、頼朝の法華堂に祀られていた、如意輪観音半跏像です。
明治時代のはじめに近くの来迎寺に移された、仏さまです。鎌倉で屈指の美しい仏さまですので、来迎寺にもお参りに行かれては、いかがでしょうか。
来迎寺(西御門)魅惑の如意輪観音 八雲神社 太平寺跡 アクセスデータ付き。

大江広元の墓
北条義時の盟友?で、承久の乱の時に弱気になった義時を励ました、政所別当の大江広元の墓が奥の石段の上にあります。
大江広元は大河ドラマで人気が高くなりそうな人物です。広元の子孫が戦国の雄、毛利元就で子孫は長州・山口県の大名になりました。
文政6年(1823)に長州藩主毛利斎煕の命令で、広元の墓が造られました。古墳時代の横穴墓を転用しました。
墓の前にある、亀の上に石の石碑乗った、亀趺碑があります。これは江戸時代になって中国朝鮮から渡来した石碑の形でで、大名家の墓地で流行しました。長州藩が家格の高さをアピールしました。
並んでいる墓は、薩摩藩主島津忠久、毛利季光の墓になります。毛利季光は広元の四男で毛利家の先祖になります。
参考文献 幻想の都 鎌倉~都市としての歴史をたどる~ (光文社新書) 高橋慎一朗著
大江広元の墓はもう一つあります。そちらが本物?
広元の墓はもう一つあります。明王院からの天園ハイキングコースの脇道にあります。(難易度が高くあまり行く人がいないとか)
広元の屋敷はこの山の下、十二所(じゅうにそ)にありました。広元の子孫は戦国大名の毛利元就、江戸時代は長門周防の国・山口県の大名になりました。
毛利家家臣が、十二所に広元の墓を探しに来ましたが、態度が横暴で百姓達はとうとう教えませんでした。
その中には広元の子孫もいたそうです。(天領・寺社領の百姓はプライドが高いので、くれぐれも舐めないように)
そこで毛利藩は法華堂跡に、大江広元の墓所を造りました。本物の墓は山の中でなかなか行けそうもないので、ここならお参りし易いですね。
大江稲荷 十二所 頼朝の右腕、大江広元ゆかりのお稲荷様、アクセスデータ付き。


法華堂跡(北条義時墓)大江政元の墓
三浦一族のやぐら 墓
宝治元年(1247)に起こった宝治合戦で、北条時頼・安達景盛に攻められた、三浦泰村以下三浦一族が滅ぼされました。三浦一族は最後に、法華堂に立てこもり自害しました。
大江広元の墓への上り口にある、やぐら(横穴)にある石塔は、三浦一族の墓になります。

法華堂跡(北条義時墓)三浦一族の墓
参考文献 中世都市鎌倉を歩く 源頼朝から上杉謙信まで (中公新書)松尾剛次 著
頼朝の墓 白旗神社 来迎寺(西御門)のリンク
頼朝の墓

白旗神社

来迎寺(西御門)


法華堂跡(北条義時墓)
アクセスデータ
法華堂跡 観光データ
住 所: | 神奈川県鎌倉市西御門2丁目 |
入場時間 : | 拝観自由 |
拝 観 料: | なし |
ト イ レ: | なし |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口より徒歩15分
バス :
京急バス 鎌倉駅 ⇔ 鎌倉宮・大塔の宮行、岐れ道下車 3分
京急バス 鎌倉駅 ⇒ 金沢八景駅行、鎌倉霊園太刀洗行、ハイランド循環行、岐れ道下車 3分

法華堂跡 (北条義時墓) 上り口

法華堂跡(北条義時墓)鎌倉殿13人の幟
近くの名所
頼朝の墓

白旗神社

来迎寺(西御門)

荏柄天神 日本三代天神の一つ

鎌倉宮

永福寺跡

宝戒寺

2022年2月15日初出
2022年3月10日追加情報加筆
2022年5月8日改訂
2022年7月9日改訂