国宝 正福寺地蔵堂 東村山、11月3日は、正福寺千体地蔵堂内部の写真が撮れます、アクセスデータ付き。

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正福寺 地蔵堂湘南・横浜・東京
正福寺 地蔵堂
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中世禅宗建築のミッシングリンクを探して、

鎌倉時代に禅宗が、宋から来たとき、日本で初めて建立された純禅宗が、鎌倉の建長寺でした。中国風の異国情緒たっぷりの建物に。輸入された唐物が大量に飾られ、政情不安の宋から、多くの中国僧逃げてきました。建長寺には宋直輸入の、禅宗建築群があったと考えられます。

残念ながら、鎌倉時代室町時代に建長寺は何度も火災にあい。創建当時の建長寺の建物は失われました。建長寺の建築を偲ぶには、鎌倉市内では、円覚寺舎利殿、足利尊氏の棟札の付いた真言宗の覚園寺の薬師堂(江戸時代に改修されています。)非公開の建長寺西来庵の昭堂。近隣では、三渓園に移築された東慶寺の仏殿などがあります。

仕事で、禅宗寺院のインテリアに興味を持ち、関連書籍を読んだら、都内に国宝の禅宗仏殿があると知りました。正福寺地蔵堂です。これは見に行かねばなりません。普通に行っても、外観を柵の向こうから見るだけになるので、特別に見れる日はないか、ネットで探していたら、11月3日文化の日に内部に入れることが分りました。さらに3時からは内部の写真も撮れると分かり、行ってきました。

11月3日は「地蔵まつり」というお祭りなので、現地に行ったら屋台が出たり、浦安の舞が奉納され奉納されていたりしました。国宝、正福寺地蔵堂(千体地蔵堂)を見学したい人に、行き方や、地蔵堂の内部見学ができる時間なども、書きます。参考にしてください。

正福寺 地蔵堂 側面

東村山は池袋から行くの?新宿から行くの?

東京生まれだけれど、東京都の西側と北側は分かりません。正福寺に行こうと思い11月3日の地蔵祭りで、内部に入れて写真も撮れると知ったのが数か月前でした。前日に正福寺をgoogleマップで検索し、最寄り駅は西武線の東村山駅とその時知りました。深夜12時近くに鎌倉から東村山駅に行く経路検索したところ、湘南新宿ラインで池袋駅に出て、西武線のアロー号に乗れとでていたので、池袋乗換にしました。

11月3日は渋谷で用事を済ませ、新宿駅のベルクでランチと菓子を買い、山手線で池袋駅で西武線のホームへ、スイカで改札を入り路線図を見ると、東村山駅は所沢駅で西武新宿線乗換で一駅、西武新宿線!池袋に行かなくても良かったじゃない。東村山は埼玉県の所沢と近いと知ったことに、軽く驚きました。(所ジョージの所沢と、志村けんの東村山が、隣だったとは知らなんだ。知らないことは、まだまだある。)

駅からのルートも下に貼っておきます。西口から歩いて行きました。google検索ではバスも出ているそうです。(バスは東口から、正福寺バス停下車)

駅からの道にお祭りの、のぼりが立っていました。歩いてお寺に近づくと縁日と雅楽も音が聞こえました。お寺の周りだけお祭りでした。規模が小さいので行く人は気を付けて下さい。

帰りは西武新宿線で新宿に出ました。南関東の人は正福寺千体地蔵堂へ行くときは、新宿から行きましょう。新宿ラインのホームから歌舞伎町の西武新宿駅まで歩きたくない人は、高田馬場乗換で。

東村山駅

東村山駅

地蔵まつり のぼり

地蔵まつり のぼり

国宝 正福寺地蔵堂、千体地蔵堂は、ここが凄い!

都内にある、建物の国宝はこの正福寺(千体)地蔵堂だけです。室町時代に建てられた、禅宗様式(唐様)の禅宗寺院建築です。禅宗様の建物の基準作でもあります。

地蔵堂は昭和二年に発見されたま

地蔵堂は江戸時代後半には、由緒ある建物して知られていました。昭和二年(1927)に東京府庁の稲村坦元と早稲田大学の田邊泰博士により、円覚寺舎利殿によく似た建物が発見されました。昭和四年に戦前の旧国宝に指定されました。

昭和八年から九年に解体修理工事が行われました。発見当時地蔵堂は茅葺屋根でした。上部の屋根は杮葺こけらぶきで、下の屋根裳階は板葺き(現在は上に銅板を葺いている。)に葺き直されました。

正福寺 地蔵堂

正福寺 地蔵堂 側面の花頭 左右の縦のラインが直線なのが古い形を伝える。

正福寺・千体地蔵堂の建物の特徴

禅宗様(唐様)は実はイケていた。

鎌倉時代に宋から禅宗が来たとき、「禅宗様」の建築方も輸入されました、大工さんはこれを「唐様」と呼びます。昔の受験生は「唐様?時代が違うのでは」と混乱させられました。従来の日本様式を「和様」と呼びます。大工さんは長い間「和様」「唐様」で建築していたので、「禅宗様」より「唐様」の方がしっくり来るという、建築歴史学者さんもいます。室町・江戸・明治と時代が下っても、大工さんは寺院建築のみならず、神社や住宅建築でも和様と唐様をミックスしたり。スタイリッシュにするため、唐様を一部取り入れる使い方をしていました。

地蔵堂の特徴

二階建て?三階建てにも見えます、地蔵堂は一階建てです。屋根の下に裳階が付けられています。裳階で有名なのは奈良の薬師寺の三重塔ですね。裳階があるので格式のある寺っだたのでしょう。

外見は漆喰、土壁がなく木です。日光東照宮のように塗装もされていない白木です。地蔵堂は中も外も白木です。屋根の下四隅に見えるのは扇垂木おおぎたるきです。飛鳥時代に一度取り入れられたのですが絶えてしまい、禅宗様の導入により大陸から再上陸しました。扇の骨状に垂木が付いています。この垂木は化粧垂木とも言われ、構造上屋根を支える垂木の下にあります。

柱の上下にはちまきと下には礎盤そばんが入り装飾されています。禅宗様独特のデザインが取り入れられています。

中国の建物のコピーかと思いきや、上下の屋根の間の木組み、三手先詰組は日本デザインの和様です。そこが面白いですね。

内部に入ると、普通のお堂が床があり座敷になっているのが多いのに対し、靴のまま入れる土間式のお堂です。エキゾティックですね。土間式は禅宗寺院にあります。(でも少数)鎌倉では他宗でも、リスペクトして土間式があります。

中は本尊の地蔵尊立像と須弥壇と、奉納された千体小地蔵尊のガラスケース以外、何もありません。禅宗は殺風景がらんどうが基本なので、他のものがありません。禅宗寺院では仏像の上や周りを装飾することはあっても、お坊さんがお経唱える場所(内陣)も檀家さんが法事の時座る場所も、普通装飾されません。密教系や日蓮宗と違います。

円覚寺舎利殿と、似ている所

私は鎌倉観光ブログを書いています。家も近いので数回、舎利殿を見ています。正福寺千体地蔵堂と舎利殿の似ている所を紹介します。

※正面の欄間と宝珠
※間取りがほぼ同じ、堂内須弥壇と仏像がある以外何も置かれてないのも同じ。
※花頭窓、花頭口の縦のラインが直線で、古い形をしている。(鎌倉時代ぽっくて良い!)

違うところ、ダイナミックで男らしい。舎利殿は元尼寺にあったので、小ぶりで可愛いく女性的です。正福寺千体地蔵堂は武蔵国に臨済禅を広めるために作られので(記録がないので推測)ダイナミック、特に屋根の曲線です。

正福寺 地蔵堂 欄間と宝珠

正福寺 地蔵堂 欄間と宝珠

欄間の中央に宝珠で弓欄間は、円覚寺の舎利殿と同じです。

正福寺 地蔵堂

正福寺 地蔵堂

天井が高い。この木組は構造上必要な木組みの下に、見せるために作ったもの、かっこいい。

正福寺 地蔵堂 花頭口

正福寺 地蔵堂 花頭口

正福寺 地蔵堂

正福寺 地蔵堂

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千体小地蔵尊

正福寺地蔵堂は、千体地蔵堂とも言われています。お堂には小地蔵尊さんが沢山奉納されていました。江戸時代の貴重な地蔵像もあるそうです。お堂前のテントでは、地蔵様の受付をしていました。(一体、3,000円でした。)

少年ガイドさんの話では、その昔、病気になると、地蔵堂から小さい千体小地蔵尊を借りてお祈りしました。病気が治ると、新しいお地蔵様と合わせて、二体のお地蔵様を戻したそうです。

境内にある、他の建物。惜しい!江戸時代の古建築を建て直していました。

私は三浦半島や東京の港区・渋谷区辺りの起伏のある土地を徘徊しています。西東京方面には滅多に行かないのですが、この辺りに来ると、関東平野は平らだなという感想を持ってしまいます。駅からの道が平らで、遠くまで見通せる正福寺の境内でした。本堂、客殿、鐘楼は昭和の初めまで、江戸時代の建物でしたが、昭和に今の建物に建て替えられてのは、惜しいことをしたなと、思いました。お祭りでしたので本堂前で物産展と写真展をしていました。

正福寺 地蔵堂

正福寺 地蔵堂

地蔵まつりのタイムテーブル

地蔵まつりの、主催者の公式サイトがなくて、何人ものブロガーさんのブログを参考にして行きました見ていきました。開催年により変更されるかもしれませんが、2017年のタイムテーブルを記しておきます。

10:00~10:30厄除け小地蔵開眼法要、見学禁止
10:30~14:00一般見学可能
10:40~住職による縁起の説明
(堂内は混雑します)
14:00~14:30厄除け小地蔵開眼法要、見学禁止
14:30~15:00一般見学可能
15:00~16:00一般見学可能 写真撮影可能

14時40分ぐらいに到着して、見学しました。15時過ぎに見学者が急に増えました。皆さん例年のことで、この時間を狙っているようです。

東村山市役所サイト秋の行事ページ

お出かけ前にはここもチェックしてみて下さい。

東村山市役所サイト年間の主な行事 こちらのページで更新しているようです。

正福寺の中世の歴史が分りません。

正福寺は、寺が江戸時代の火災で古文書が焼失してしまい、寺の歴史が不明なのです。千体地蔵堂が室町時代の建物なので、鎌倉時代から正福寺はこの地にあり、鎌倉の建長寺の末寺と推測されます。建立当時の実態がよくわからないのです。今後、一次資料が発見されれば、正福寺の中世の歴史が明らかになるか思います。

正福寺には鎌倉執権北条時頼が、建立したという物語があります。歴史学的には信憑性が低いのですが、時代が下った江戸時代の文献は北条時頼・時宗ら、鎌倉執権が建立した話が多いので伝説に近いことがあったのかも知れません。寺伝によると、北条時宗が鷹狩りの折病気になり、夢枕に黄衣をまとった地蔵菩薩が現れ、丸薬をくれたそうです。時宗は丸薬を飲み、眠りから覚めたら、病いが治ったので、地蔵尊を信仰して、弘安元年(1278年)この地蔵堂を建立したと寺伝にあります。

室町時代建設の千体地蔵堂から、正福寺が格の高い寺院であった可能性があります。地蔵堂が裳階付で、方三間(正面と側面の柱と柱の間が3つある、正方形の建物。)で、鎌倉尼五山大平寺の仏殿(本堂)現・円覚寺の舎利殿と、同等の格式がありました。江戸時代の寺社奉行の記録では、建長寺の筆頭末寺・明月院の配下の末寺と記録されています。明月院は北条時頼ゆかりの寺です。

宗派 臨済宗建長寺派山号寺号 金剛山正福寺こんごうさんしょうふくじ

創建 伝、弘安元年(1662)
開山 伝、石渓心月
開基 伝、北条時頼

東村山市サイト 正福寺地蔵堂

正福寺 山門

正福寺 山門

アクセスデータ

webサイト:なし
住   所:東村山市野口町4丁目6番地1 正福寺境内
電   話:042-396-3800

アクセス方法

最寄駅:西武新宿線 東村山駅西口下車 13分

バ ス:東村山駅東口より 立35 正福寺バス停下車6分

東京都東村山市野口町4丁目6番地1
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