頼朝が奥州藤原氏に憧がれて永福寺を建立
鎌倉宮から瑞泉寺へ行く道の、途中にあります。2017年6月に整備工事が終了して、公開されました。新しい名所です。瑞泉寺にお越しの際は、永福寺(ようふくじ)跡にもお立ち寄りください。頼朝の建立した永福寺の広大な遺跡です。鎌倉時代の様子がよくわかる場所です。
鎌倉宮
瑞泉寺

永福寺跡
頼朝が平泉の毛越寺・中尊寺に憧れて建立
永福寺(ようふくじ)跡に立つと、広い、中央の二階堂と両脇の阿弥陀堂・薬師堂が、基壇しかないのですが大きい。山を背にして池の向側に、この3つの建物があり、池の釣殿とそれぞれを翼廊でつないでいます。
見たときは、京都宇治の平等院を連想しました。平安貴族の住む寝殿造りそのものです。この寺は源頼朝が奥州藤原氏の征伐の折り見た、平泉の毛越寺・中尊寺に憧れて(嫉妬して?)建立を決めた寺です。中央の二階堂の壁画は毛越寺の金堂の壁画を模したもの。
建立の目的は奥州平泉征伐で亡くなった、数万の兵の鎮魂でした。
二階堂の本尊は釈迦如来と考えられています。左手の阿弥陀堂には阿弥陀如、右手の薬師堂には薬師如来と、三尊をまつる寺でした。回廊がそれぞれの堂をめぐり、池には釣り殿が作らていました。中央の二階堂の前の池には橋がかけられた跡がありました。規模からして鎌倉時代、日本を代表する大寺院であったと考えらています。
代々の将軍と永福寺
永福寺は鎌倉幕府の、迎賓館としても使われました。頼朝の死後も、2代頼家、3代実朝、4代摂家将軍の藤原頼経、5代藤原頼嗣、6代宮将軍宗尊親王が、花見や雪見、蹴鞠、歌会を永福寺で行いました。お寺があった鎌倉時代には、さぞ風光明媚なところだったのでしょう。
永福寺は戦争に巻き込まれたり、鎌倉時代の終わりには2回火災にあい、その都度再建されました。室町時代に火災で焼け、その後歴史にの闇に沈み、廃寺となりました。

永福寺跡

永福寺跡 池
楽しみ方
広いところなので一周すると時間がかかります。芝生を植えて整備してされています。池のほとりにはベンチもありますので、ここで休憩するのにもってこいです。天園ハイキングコースの入り口も近いので、ハイキングの休憩場所にもなります。
お寺も建物もない遺跡なので、想像力が逞しくないと、面白くないかな。で考えてみました。例えば頼朝になって、永福寺をどう作ろうか想像してみる。知識0でも「頼朝さんって、こういうの好きなんだ!」と思いながら遺跡を見るのもいいです。
ここまで立派だと、頼朝さんはじめとする鎌倉幕府が、京都の貴族たちに一歩も引かなかったのには、永福寺の存在があったのではありませんか。上皇の御所より立派そうです。
永福寺の遺跡は今後も整備がされるので、この先公開場所が広がる模様です。新たな展示が追加されるかも知れません。

永福寺跡

永福寺跡

永福寺跡
鎌倉歴文化交流館 永福寺展
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永福寺(ようふくじ)跡 アクセスデータ
webサイト | スマホ専用サイト http://www.yofukuji.net/ 「国指定史跡永福寺跡」のコンピューターグラフィックによる復元 http://www.bukenokoto-kamakura.com/yofuku-ji/ 鎌倉市役所サイト内ページ https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/treasury/yohukuji_cg.html |
住 所 | 神奈川県鎌倉市二階堂 |
入場時間 | 4月~10月 9:00~17:00 11月~3月 9:00~16:30 |
拝 観 料 | 無料 |
閉 場 | (1)午前7時の時点で大雨、洪水、大雪等についての気象警報、注意報が発表されたとき、終日休場。 (2)開場時間内に上記の気象警報、注意報が発表されたとき、発表時刻から開場時間終了まで休場。 (3)その他鎌倉市教育委員会が必要と認めたとき、必要と認めた時間。 |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口
バ ス:京急バス 鎌倉駅⇔大塔宮 終点 大塔の宮下車 徒歩5分
連絡先
管理者: | 鎌倉市文化財部文化財課 |
住 所: | 鎌倉市御成町18-10 本庁舎4階 |
電 話: | 0467-61-3857 |
メール: | bunkazai@city.kamakura.kanagawa.jp |

永福寺跡
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http://koten-kagu.jp/2017/08/23/kamakura-117/
永福寺跡
白旗神社(西御門)

2017年9月1日初出
2019年9月25日改訂
2022年2月3日改訂