新しくできた鎌倉歴史文化交流館
2017年5月15日に鎌倉市の新しい文化施設。鎌倉歴史文化交流館が出来ました。
旺文社の創業家赤尾家の個人住宅を、センチュリー文化財団より寄付され、開館しました。
本館・別館の2棟があります。現代建築と鎌倉の歴史の両方ともを鑑賞できる場所になりました。
この地は 鎌倉時代 無量寺谷(むりょうじがやつ)と呼ばれ、鎌倉時代の有力御家人、安達氏の館や無量寺院があったとされます。
刀工正宗の子孫、綱広、三菱財閥の創業家などを経て、参考書でお馴染みの旺文社系のセンチュリー文化財団のものでした。
展示品は発掘された、鏡や陶磁器や古銭・武具などが中心です。
これ見事だと思ったのは、鎌倉の立体地図にプロジェクションマッピングで、歴史上の出来事を再現するジオラマです。
説明文の下に展示ケースに実物が展示され、興味が持てるように工夫されています。
ここでお知らせしたいのは、
それと、歴史マニアの皆さん、あなた達の参考書代は有効に使われました。と声を大きくして伝えたいです。
私も史学科に行こうか迷って国文科に行き、古記録を死ぬほど読まされる、大変幸せな学問をしました。古典文学研究ってほぼ歴史学なのよ。だからとても嬉しいです。
各展示室を紹介
下にもっと詳しく書きますが、香港上海銀行、アップル本社を設計した、ノーマン・フォルスター事務所が設計した、石がふんだんに使われた建物です。
大きな開口部の入り口から入り展示室に移ると暗くなります。第二展示室・第三展示室に行くと部屋の開口部が大きく明るくなるのは、ちょっとドラマティックです。

鎌倉歴史文化交流館 アプローチ

鎌倉歴史文化交流館 入り口
エントランス
かつてガレージだったそう、大きな開口部が印象的です。壁には流鏑馬の写真、現代の鎌倉彫りが展示されていました。
展示室へのアプローチには、正宗の刀と大鎧のレプリカの展示されていました。現代の鎌倉に息づく中世文化ということでしょう。

鎌倉歴史交流館 エントランス

鎌倉歴史交流館 エントランス
1室、通史展示室、原始時代から大正時代までの、鎌倉の歴史が分ります。
ビデオで原始時代からの鎌倉の歴史を流していました。よくできたビデオで時間も短く、鎌倉時代以外の鎌倉の歴史も分かります。

鎌倉歴史文化交流館 鎌倉公方足利持氏の御教書
2室、中世展示室、発掘品の展示、宋から輸入された青磁器
発掘品の展示です。歴史的に重要な発掘品の実物が展示されていて、歴史好きな人ならきっとわくわくします。展示替えがあるようです。

鎌倉歴史文化交流館 発掘された陶磁器

鎌倉歴史文化交流館 板碑と五輪塔
3室、近世/近現代展示室
開口部が気持ち良い、展示室でした。展示品が少ないかな。それだけに現代建築マニアの人には堪らない空間かな。関東大震災当時の作家たちにの日記。特集コーナーで杉原千畝と小辻節蔵の展示がありました。
第3室は元寝室でした。床は同じく中国のアンティークタイルです。中央にあるベンチと展示ケースは、前の所有者が置いて行ったもので、ベンチは馬皮でイタリア製、ケースもイタリア製になります。

鎌倉歴史文化交流館 第3展示室

鎌倉歴史文化交流館 第3展示室

鎌倉歴史文化交流館 第3室 馬革のイタリア製のベンチ
別館4室、考古展示室 中世の発掘品が多数展示。
別館4室は一度庭園に出て、別の建物になります。特別展の会場です。
写真は2017年の「中世鎌倉の都市生活の実像を語る出土遺物」展示の物です。市内発掘品の考古学の速報展示もするそうです。
普段は市内の遺跡の発掘品を展示しています。2017年6月に私が行った時は「中世びとの暮らし」をテーマにし、カワラケなど食器類、遊びの道具としてサイコロ・双六・人形など多彩な品が展示されていました。

鎌倉歴史文化交流館 鏡

鎌倉歴史文化交流館 発掘された傀儡
別館交流室
最後の部屋は交流室ということで、テーブルといすが置かれていました。「甦る永福寺展」ではVR体験会場になりました。イベント会場になります。
窓から見える3つの穴は近代になって掘られたもので、下に書きます。

鎌倉歴史文化交流館 交流室
ノーマン・フォルスター氏の事務所が設計
鎌倉歴史文化交流館は個人の住宅転用した建物でしたが、美術館とまごうような展示室でした。
旺文社初代社長赤尾好夫のコレクションの美術館をここに作る予定でした。現在コレクションは高田馬場のセンチュリーミュジーアムに展示されています。
個人住宅の設計をしない、ノーマン・フォルスター氏が珍しく手がけた個人住宅で。Kamakura-house と呼ばれています。
サイトには建築中の写真が多数あります。石を使った建物はモダン建築の粋を集めた建物です。
イタリア製の展示ケースなと、家具も残しています。往時をしのぶことが出来ます。
展示会場の他に2階や地下にプールもあり公開されていないところが、この建物には結構あるのです。バリアフリーにできないので、展示場にならないらしいです。
2階も展示スペースにしたら、特別展とかできそうです。いつか東京都庭園美術館のように建物ツアーをやって欲しいです。(建物ツアーやっているようです。土曜日11時からのギャラリートークでも、建物の解説をしていました。)

鎌倉歴史文化交流館
廊下の石の壁から明かりが漏れるのは、テレビのブラウン管のリサイクル、床は中国タイルのアンティークです。展示場に入るといきなり暗くなり、そこからまた明るくなる演出を堪能してください。

鎌倉歴史文化交流館 本館廊下

鎌倉歴史文化交流館 本館廊下
寝殿造り?がありました。
第3展示室から休憩スペースへ角を曲がると、朱塗りに白い漆喰が目に入りました。
「鎌倉市、凄ーい!鎌倉時代の武家の館を再現したんだ!」と感心したのですが。藤原道長・源氏物語の時代そのままではありませんが、鎌倉時代の武家は京都の貴族と同じ寝殿造りに住んでいました。これは素晴らしいと一瞬思いました。
よくよく見ると、違和感が。上に開くはずの半蔀が、観音開きで横に開いていて様子がおかしいのです。全体的に作りが甘くて、なーんちゃって感が漂います。
説明文を読むと、「書院」と書かれていましたが「寝殿造り」の記載は一切なかったです。中は畳が敷き詰められ板敷で、日本座敷として使われた模様。現代の大工に作らせたと書いてありました。旺文社の社長でもこのクオリティなのかなと、少しあきれた次第です。
2017年9月に再び行ったときは、解説文が「書院」はなく「数寄屋造り」になっていました。(寝殿造りから書院、数寄屋造りと建築史の時代が下がる説明!)現代の大工に作らせた云々は消えていました。中が畳敷きだと思っていましたが、板敷でした。そこは訂正します。
歴史博物館に、寝殿造りのなーんちゃってがあるのは、どうなのかしら。建物として Kamakura-house がどう使われていたのかの資料にはなりますから保存するのかしら。
サイトその他に一切の記述がないのですが、歴史マニアの人にはこんなのあったと、お伝えします。

鎌倉歴史文化交流館 書院

鎌倉歴史交流館 書院

鎌倉歴史交流館 書院 屋根の上に鴟尾(しび)
中世から近代までの石組が残る庭
展示室の大きな開口部から庭が見れます、お庭は解放されている部分もあるので、散策できます。
裏山のふもとの平坦部分は、木を植えたりしないでこのままにしておくのかな?今は石組が見られるように草が刈られています。
出来ればどの部分が、何時代が分れば面白いのですが、各時代の美意識の変遷が分りそうです。鎌倉時代・室町時代・明治時代そしてポストモダンが交錯しているお庭です。

鎌倉歴史文化交流館 庭園
葛原岡神社に移された、合槌稲荷
この屋敷内に合槌稲荷というお稲荷さんがありました。ここ無量寺谷に住んでいた、刀鍛冶の正宗にちなんで、ここに別荘を構えていた、三菱財閥の4代目岩崎小弥太が母のために作ったお稲荷さんでした。
正宗+三菱グループの「合槌稲荷」と、この近くにある「銭洗い弁天」で最強の金運スポット!凄いと思いましたが。
鎌倉市は宗教施設が持てないので、源氏山公園の葛原岡神社に、御移りいたしました。いつか戻っておいで。
お稲荷さんがあった場所へは、階段に手すりがついて整備されています。散策してみて下さい。お稲荷さんの跡地からは、海まで見渡せます。だからこの場所にしたのね。

鎌倉歴史文化交流館 合槌稲荷の石碑
葛原岡神社 梶原 アクセスデータ付き

3連の穴は何なの
鎌倉でよく見る穴は、「やぐら」と言われ、人口爆発で墓不足に悩んでいた鎌倉時代に、墓と供養塔が作られました。
別館からも見える、3個連続の穴について、2017年11月のギャラリートークで学芸員さんの話しでは、よく分からないそうですが。
岩崎家が所有して時代に掘られたかも?
防空壕?
貯蔵庫?
きれな水が湧いているので、横堀の井戸?
井戸説は3個の穴の左手に中世の「やぐら」があります。そこから水が湧き、今別館のある所にあった池に、水が引かれていました。水確保のため掘られたかも。
第二次世界大戦中、鎌倉民は「やぐら」を防空壕に使っていました。1970年代私が子供の頃、大人たちから防空壕にしていたと、さんざん話を聞かされていました。私個人的には「やぐら」を見ると、つい「戦争中、防空壕にしていたんだ。」という目で見てしまいます。奥が深そうに見えるので防空壕にしていた可能性はあります。使用人や近所の人も収容するため3個掘ったかも知れません。
今後、学芸員さんが調査するそうなので、結果を楽しみに待ちます。泥だらけになりそう。

鎌倉歴史文化交流館 3個連続の穴
3個連続の穴の左手にある、中世のやぐら、こちらからはきれいな水が湧くそうです。

鎌倉歴史文化交流館 中世のやぐら
紅葉の名所になりそう。
紅葉もなかなか良かったので、紹介。特に別館の入り口の紅葉が良いです。来年から名所になりそうな予感がします。

鎌倉歴史文化交流館 紅葉

鎌倉歴史文化交流館 紅葉
これからどうなる鎌倉歴史文化交流館
鎌倉博物館が計画されています。
広いアプローチのところに「中世博物館」「鎌倉博物館」を建てる予定があるそうです。歴史マニアの方には朗報です。公式から発表がないので詳細はまだのようです。
住宅街の博物館の問題
鎌倉は観光客が押し寄せてくるのか、自ら宣伝したりしない、”奥ゆかしい”ところがあります。周り人が盛り上げてくれる、貴族の令嬢のようです。市民も”奥ゆかしい”の大好きです。鎌倉歴史文化交流館のことも大々的に宣伝していないのです。鎌倉駅から銭洗い弁天へ行く道なので観光客は沢山通るですが、目立たないようにしています。
住宅地に鎌倉歴史文化交流館を作ったことに、市はかなり気を使っています。博物館として異例な日曜・祝日が休館日、来訪者に静かに声を出さないようにとの注意がされています。
利用者としては、カフェを作っていただきたいのです。近隣に配慮して館内は庭園部分も含め、飲食禁止となっています。
市としては、知られたいような、知られたくないような、施設になっております。現在は歴史マニアと建築マニアしか来ないので、マニアの方が集中して見れて良い博物館かと思います。
現状は市内の小中学生の学習施設
今まで鎌倉市には、ビジターセンターや郷土史資料館はありませんでした。鎌倉市内の小中学校の生徒の、郷土史の学習施設という位置づけです。館側は市内の小中学生に何回も来て欲しいようです。郷土史を勉強するのには、贅沢すぎる施設です。

鎌倉歴史文化交流館
追記、twitterはじめました。2017年11月
「甦る永福寺展」のためか、鎌倉歴史交流館がtwitterをはじめました。https://twitter.com/kamakura_kmhc 風向きが変わってきたようです。多少のマスコミへの露出もありそうです。
2017年10月に学芸員が足利尊氏の肖像画を発見したニュースが出ました。歴史マニアの間では周知されてきたようです。
鎌倉歴史文化交流館の、企画展・講演会。
講演会「北条義時とその時代~鎌倉武士の時代」2022年6月11日開催。歴史の定説を覆されました。

トーク・セッション~禅を語る 禅に親しむ~鎌倉歴史文化交流館 2018年3月31日 お坊さんが語る修行のあれこれ。

2017年 甦る永福寺展

鎌倉歴史文化交流館 概要
2022年6月確認
w e b | サイト http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/rekibun/koryukan.html twitter https://twitter.com/kamakura_kmhc |
住 所 | 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-5-1 |
電話番号 | 0467-73-8501 |
メール | rekibun@city.kamakura.kanagawa.jp |
休 館 日 | 日曜日 祝日 |
開館時間 | 10:00~16:00(入館は閉館の15:30まで) |
入 場 料 | 一般400円(300円)小・中学生150円(100円)()内は20名以上団体料金 下記の条件の人は無料です。 ※鎌倉市内に住所を有する方のうち、65歳以上の方 ※小学校~大学院に在学する人で、鎌倉市内の小・中・高・大学に通学する方、または鎌倉市内に住所を有する方。身分証の提示。 ※身体障がい者手帳の交付を受けた方およびその介助者1名 ※療育手帳の交付を受けた方およびその介助者1名 ※精神障がい者保険福祉手帳の交付を受けた方およびその介助者1名 |
学芸員によるギャラリートークは、祝日以外の木曜日の10:30よりあり。
鎌倉歴史文化交流館アクセス方法
アクセス方法
JR横須賀線鎌倉駅・江ノ電鎌倉駅より徒歩7分
駐車場:なし 障がい者用の駐車場利用は、事前連絡。
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鎌倉歴史文化交流館
2017年6月28日初出
2017年10月12日訂正一部写真張替
2017年11月29日加筆一部写真張替
2022年6月21日改訂