ブラタモリに出たお寺です。
2015年5月9日の、ブラタモリで紹介されました。この回は見ていなかったのですが、NHKサイト(現在は公開されていません)の浄光明寺のルートをみると、非公開の裏庭まで行っています。
気になった方は鎌倉十三仏詣り、梅かまくら特別参拝で行けますので申しみましょう。私は2017年に参加しました。そのとき住職さん聞いたことも紹介します
浄光妙寺アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 西口 徒歩15分
浄光明寺はどんなお寺
浄光明寺(じょうこうみょうじ)は、真言宗・天台宗・禅宗・浄土宗の4つの勧学院がありました。
仏教総合学問所で今いう大学・研究所ような場所で、数百人の僧侶たちが行きかう場所でした。
往時の盛大さをしのばせるのは、限られた土地を有効活用するため、山門から入って客殿のある1段目、本堂のある2段目。
さらに鎌倉石を削ってできたい階段を登り、網引地蔵がある3段目と鎌倉石を切り出して平地を作っています。
浄光明寺が歴史的に有名なのは、足利尊氏が後醍醐天皇に謀反を疑われた建武二年(1335)、この寺に籠りました。その後、建武の親政から尊氏が離脱し反撃し、室町幕府を開きました。
浄光明寺は小町通りの奥、鎌倉駅から歩いて15分なのです。なかなかの、隠れ里です。
山門から入って、本堂前の境内はいたって普通のお寺です。奥の方に行くと、お堂あり岩山ありと、冒険気分も味わえて、変化に富んだ楽しいお寺です。
京都から来た文覚上人が建立し、和歌の名門冷泉家の初代冷泉為相の墓もある、という京都ととのかかわりもあるお寺です。今は静かに、住宅街にあります。横須賀線の通過音が、谷戸に響くばかりです。
有料で木・土・日曜日(八月休み)と限定公開される部分に分かれます。
無料公開部分の、見どころ
無料公開エリアで、見れるのは、山門、楊貴妃観音の石像、客殿、鐘楼、不動堂です。
山門
品があるなと、思いましたら、江戸初期の建築でした。
浄光明寺 山門 古建築データ
- 時代 江戸初期
- 形式 四脚門 虹梁蟇股式
- 広さ 一間×二間
- 屋根 切妻・瓦葺き
- 柱と軒組 角柱 大斗実肘木
(旧英勝寺 市指定)
楊貴妃観音の石像
浄光明寺は京都の泉涌寺の末寺です。泉涌寺の有名な楊貴妃観音を、写した石像が山門脇に建っています。美人さんを拝みましょう。

浄光明寺 楊貴妃観音
客殿と庫裏
山門から入って正面に見える立派な建物で、本堂だと思いましたら、客殿でした。左にある建物は庫裏です。御朱印受付は庫裏になります。
不動堂
花々に囲まれ、ヴィジュアルのよいお堂でした。千社札が沢山貼られて、庶民に愛されているお不動様のようです。

浄光明寺 不動堂

浄光明寺 不動堂
有料・限定公開の、見どころ。
お寺の奥の方だけ、拝観料を払うのは合理的だなと、昔浄光明寺に行ったとき思った思い出がありました。雨天中止だそうですが、素晴らしい仏像が見られて、良い体験が出来ると思います。
客殿の右脇の道を行くと、一段高くなったところに出ます。入場券を買って中に入りましょう。公開日には係りの人がいます。
収蔵庫、観音堂、仏殿、石の階段を登って、綱引観音、冷泉為相の墓が見れます。
浄光明寺五輪塔は、鎌倉祭り時公開します。Facebookで告知されます。
収蔵庫
本尊の阿弥陀如来三尊像と矢拾地蔵がまつられています。
阿弥陀如来三尊像
国の重要文化財です。北条長時の孫、久時により、成安元年(1299)に作られた、本尊です。
運慶の流れを基にしながら、宋風の特徴も見られます。鎌倉で流行した「土紋」と呼ばれる装飾がもいいられた、最古の仏像です。
土紋は粘土に漆を混ぜたものを、模様の付いた型で、ビスケットの型抜きをするように、抜いて仏像の装飾にしたものです。
矢拾地蔵と足利直義の伝説
矢拾地蔵菩薩立像は、室町幕府、初代将軍足利尊氏の弟、足利直義の守り本尊でした。
ある戦いで矢が尽き、直義が困っていいるところへ、一人の子供の僧が走り寄り、集めた矢を差し出しました。
それは信仰していた地蔵像でした。矢拾地蔵と呼ばれるようになりました。
衣文に截金を施した、鎌倉末から南北朝にかけての作です。
鎌倉国宝館の2017年の足利基氏展に出品、何と鎌倉時代の作でした

仏殿 禅宗スタイルを取り入れた江戸時代の建物
谷の奥にある、仏殿は、大変印象深いものです。江戸初期に鎌倉の大工によって、建てられたものです。
禅宗様式を取り入れて、禅寺に見られる、土間の建物です。阿弥陀三尊が祀られていたので「阿弥陀堂」とも呼ばれています。
江戸時代初め仏殿再興に力を貸した、鶴岡八幡宮寺の元喬僧都の大きな墓が仏殿の右手にあります。この辺りは鶴岡八幡宮の神主だった大伴家の墓地です。
浄光明寺 仏殿の古建築データ
- 時代 江戸時代 寛文八年
- 形式 土間仏殿 単層三間堂
- 広さ 三間×三間
- 屋根 寄棟・茅葺
- 柱と軒組 丸柱 三斗・撥束

浄光明寺 仏殿

浄光明寺 仏殿
鶴岡八幡宮の神主 大伴家の墓
木造の仏殿の右手は、鶴岡八幡宮の神主をしていた大伴家(今は世襲制ではなくなりました。)の墓があります。
昔は神道ではお弔いをしなかったので菩提寺でした。玉垣に囲まれたひときわ大きな墓は、江戸時代初め仏殿再興に力を貸した、鶴岡八幡宮寺の元喬僧都の墓になります。
浄光明寺で大きな法要があるときは、今でも鶴岡八幡宮からお供物が届くそうです。
石段
冒険者気分になれます。この石段は近代になってからの物です。昔は下から別のトンネルが通じていたそうです。
石段は昔鎌倉石を切り出した時のままで、幅がなくて怖いのだけれど、風情があります。
上がり口の辺りに手すりがないのは、国の史跡に指定されているからだそうです。この辺りは降りるとき少し怖いです。

浄光明寺 石段

浄光明寺 石段
綱引地蔵
網引地蔵は由比ガ浜で漁師が、網で引き上げたという伝説があります。網で引き上げたのは伝説だけのようですが、このお地蔵様が見ているのは、鎌倉の町を望み由比ガ浜が眺められる光景です。
お像に傷がなく背中に正和二年(1313)の銘があります。梅かまくら特別参拝で背中を見せて頂きました。ここには「地蔵院」がありお堂として天蓋、扉がありました。今でも天井に跡があります。

浄光明寺 網引き地蔵

浄光明寺 鎌倉の町 由比ガ浜を望む
冷泉為親の墓
百人一首を選んだことで有名な、大歌人藤原定家の孫の、冷泉為親の墓が、綱引地蔵の左手奥にあります。
母で「十六夜(いざよい)日記」の作者の阿仏尼が相続争いの訴訟で鎌倉に来たのは有名です。
国の史跡で、端正な宝筐印塔です。下の梅かまくら特別参拝でも住職さん、面白い話を聞いてきました。

浄光明寺 冷泉為親の墓
特別拝観、浄光明寺五輪塔
毎年4月の鎌倉祭りにあわせて、特別拝観があります。
冷泉為親の墓より、20分ほど山道を歩いた奥には、国の重要文化財「浄光明寺五輪塔」(通称 覚賢塔:鎌倉時代、多宝寺の住職を務めた覚賢上人の墓塔。多宝寺廃寺後、浄光明寺が管理)があります。
公開情報はfacebookにのります。
特別拝観にあわせて行ったのです。閉門前でしたので結局行きませんでした。写真は扉が開いているところ。柵の向こうに冷泉為親の墓が見えます。

浄光明寺
2017年 梅かまくら特別参拝 裏庭も拝見
2017年3月17日に鎌倉十三仏詣りの梅かまくら特別参拝で、浄光明寺にお伺いしました。
住職さんの案内で客殿前・仏殿・網引き地蔵・冷泉為親の墓と普段は非公開の「裏庭」を見ました
勘違い聞き間違いもあると思いますが、そこはお許し下さい。
仏殿 阿弥陀堂
中世に何度も火災にあい荒廃した、浄光明寺です。江戸時代初め資金が集まらなくて困っていた時、鶴岡八幡宮寺の元喬僧都がお母さんの供養にと、仏殿を再建する資金を出しました。
一部鎌倉・室町時代の仏殿の材料が使われています。
さて中の阿弥陀三尊像が、防犯防火のため左手脇の収蔵庫に入ったあと、ガランとしてもったいないので20年前に三世仏がお祀りされました。意外と新しかったのね。
木造 阿弥陀如来 脇
住職さんのお話によると、脇侍の観世音菩薩・勢至菩薩の方が古くて鎌倉時代、真ん中の本尊の阿弥陀仏像は遅れて南北朝時代で、鎌倉地方独特の土紋の年代分り古い作例となっています。
何で本尊の方が新しいか、住職さんの推理では、お寺が焼けるたびに、どこのお寺でも仏像を持ち出しています。
お仏像が博物館に展示されるので搬出されるを見たとき。脇侍は大人2人で運べましたが、本尊は数人がかりで道具を使っての搬出でした。
火事になっても本尊は大きかったので、持ち出せなかったから?とおっしゃてました。
網引き地蔵
特別参拝なので、柵の中に入れてもらいました。横・後ろのお地蔵様の写真を沢山撮ってきました。
網引き地蔵伝説は海が見えるからここにあるでは。ここにはかつて地蔵院があり、扉があって、梁や丸い天蓋のあとも残っています。
お地蔵様には傷がほとんどなく、端正で素直なお地蔵さまでした。私個人の鎌倉の鎌倉時代の仏像では、上位にしたいです。
冷泉為親の墓
住職さんより衝撃の話がありました。住職さんの卒業論文は宝筐院塔だったそう。
冷泉為親さんは鎌倉時代の人にもかかわらず。この宝筐院塔は南北朝時代のものだそうです。
一番上の石が崩落したのか先端が短くなっています。
冷泉家(今も続く和歌の家元)では江戸時代公式に初代の墓と認めていました。
お墓の玉垣を作ったのは水戸黄門こと徳川光圀と、表示版に書かれているのはウソ。「黄門」は中納言を中国風に呼んだもの。なので○○黄門は沢山います。
冷泉為親も中納言で、浄光明寺のそばにあった藤ヶ谷に住んでいたので、「藤谷黄門」と呼ばれていました。たまがきに黄門と彫られていたので、勘違いされてしまいました。
真相は江戸時代冷泉家の和歌の有力弟子だった武士の方が(名前失念)冷泉家から頼まれこの墓を守り、玉垣を作りました。
今でも和歌を詠む人がお参りに来るそうです。
裏庭
ブラタモリでも放映された、鎌倉石の崖の庭です。年に一度梅かまくら特別参拝でないと見れません。
後日エントリーを書きますが一部写真を公開します。浄光明寺の境内とも裏庭も国の史跡となっています。住職さんに言わせると「裏にあるので裏庭」だそうです。
鎌倉石の崖
上から延びる、びゃくしんの木
大小2つのやぐら、中でつながっていました。

浄光明寺 裏庭

浄光明寺 裏庭 崖のうえからビャクシンの枝が下がっています。

浄光明寺 裏庭 池の向こうに大きなやぐら、

浄光明寺とは
- 宗派 真言宗泉涌寺派
- 山号寺号 泉谷山 浄光明寺 (せんこくざん じょうこうみょうじ)
- 創建 建長三年(1251)鎌倉時代
- 開山 真阿(真聖国師)
- 開基 北条長時
- 本尊 阿弥陀三尊
- 鎌倉三十三観音霊場 第二十五番札所 千手観世音菩薩
- 十三佛霊場巡拝 第九番札所 勢至菩薩
源頼朝の願いで文覚上人が建てた堂がはじまりと伝えられる。その後、建長三年(1251)鎌倉幕府の六代執権の北条長時が真阿(真聖国師)を開山として創建した。
元弘三年(1333)には後醍醐天皇の勅願所となる一方、真言・天台・禅・浄土の四つの勧学院を建て、学問の道場としての基礎を築いた。
また足利尊氏は建武二年(1335)、この寺にこもり、後醍醐天皇に対し挙兵する決意を固めたという。尊氏・直義兄弟の帰依は厚く、寺領や仏舎利の寄進を受けたと古文書にある。
鎌倉の寺 小事典
浄光明寺のアクセスデータ
観光データ
webサイト | twitter https://twitter.com/joukoumyouji facebook https://www.facebook.com/joukoumyouji/timeline |
住所 | 神奈川県鎌倉市扇ガ谷2-12-1 |
電話 | 0467-22-1359 |
駐車場 | なし |
入場時間 | 無料エリア 9:00~17:00 有料エリア 拝観日 木・土・日曜日 公開中止は、年末年始 8月 雨天 時間 10:00~12:00 13:00~16:00 |
拝観料 | 有料エリアのみ 大人・高校生200円 中・小学生100円 |
その他 | 補助犬歓迎 |
御朱印受付 | 庫裏にて 1件 300円 |
トイレ | 公衆トイレがあります |
浄光妙寺アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 西口 徒歩15分
近くの名所
巽神社

八坂大神

寿福寺

英勝寺

海蔵寺

岩船地蔵

浄光明寺


薬王寺

北鎌倉から行くときは、亀ヶ谷の切通を通ります。

2016年6月9日初出
2017年3月25日改訂
2017年5月12日改訂
2017年12月14日改訂
2018年1月10日改訂
2018年1月15日改訂
2019年6月19日リンク貼り直し
2022年6月2日改訂