本来の鎌倉らしいお寺
鎌倉時代いや戦後の開発がはじまる前の、鎌倉のお寺らしい所はと問われた、市内の有名寺院の位の高い僧侶が、「覚園寺(かくおんじ)さん」と即答したそうです。覚園寺さんのお坊さんの話では、里山が崩壊しているので、歴史上現在は、最も木が茂っている境内だそうです。
苔の地面に真直ぐ伸びた杉の木に、四季の花が咲く覚園寺の境内は、異世界にタイムトリップするような、幻想的な光景でございました。
目次

覚園寺 境内

覚園寺 境内

覚園寺 境内
見どころ
愛染堂
ここまでは、山門が開門していれば、参拝できます。明治の廃仏毀釈のおり廃寺になった、近くの大楽寺から移されました。愛染明王坐像、鉄不動明王像、阿閦如来(あしゅくにょらい)像はいずれも鎌倉時代の仏像です。

覚園寺 黒地蔵盆の愛染堂
薬師堂
ここからは、拝観コースで、写真撮影ができません。
杉木立の中に、藁ぶき屋の薬師堂があります。国の重要文化財材の木造薬師如来像、両脇侍の日光月光菩薩像と、堂の両脇に十二支をモチーフにした十二神将像が祀られています。
薬師堂は建武四年(1337)二月に火災にあったので、足利尊氏が寺領の寄進を画策した。文和三年(1355)に落成、天井を3つに区分した天井梁に尊氏が書いた、梁牌(りょうはい)があります。当時は二重屋根で禅宗様式の土間仏殿でした。元禄二年(1989)に改修があり、現在の姿になりました。
太い木の連子欄間、花頭枠の扉が印象的です。円覚寺舎利殿と同じく花頭が広がってない初期の禅宗様の特徴があります。舎利殿に比べると豪快で鎌倉武士的な仏堂でした。
土間仏堂 単層五間堂 五間×五間 寄棟・茅葺 丸柱 三斗詰
地蔵堂 黒地蔵
お祀りされている、地蔵尊菩薩立像は、鎌倉時代で国の重要文化財です。
八月十日の深夜0時から正午の12時まで行われる、「黒地蔵縁日」は多くの参拝客が訪れます。新盆を迎える親族、亡くなった人の供養のために三年間通う方もいるそうです。
黒地蔵のいわれは、地獄に落ちた人を救うために、鬼に変わって火を焚いたため、からだが黒く煤けました。
地蔵堂のそばには、千体地蔵堂があります。地蔵様は生きている間に必ず願い事をかなえます。こちらのお堂から小さな地蔵像を借りて、願いがかなったらもう一体添えて地蔵様を二体戻します。このお堂には小さなお地蔵様がたくさんあります。
こちらには川端康成が愛した、鞘阿弥陀仏もあります。
8月10日の黒地蔵盆
太郎庵椿 覚園寺の椿
地蔵堂の裏にある、大きな椿の木です。江戸時代の茶人高田太郎庵の椿で、栽培技術がすすむ前は太郎庵椿の大きな木として、関東で珍重されました。
旧内海家住宅
鎌倉には江戸時代の古民家が二軒保存されています。一軒は龍宝寺の旧石井家住宅、もう一軒は覚園寺にある旧内海家住宅です。
田の字型の四間取りの変形で、広い開口部がありそこに縁側を回しています。接客を重視した作りで、座敷と広間に、床の間の原型になるの押し板が見られます。
もう一つの鎌倉の古民家 旧石井家住宅

覚園寺 境内

覚園寺 境内
黒地蔵盆 3年続けて御供養すると、成仏できます。
毎年8月10日の午前0時から昼の12時まで開催されます。
覚園寺の黒地蔵盆 三年御供養すると、必ず成仏できる、施餓鬼供養です。
梅かまくら特別参拝
2017年2月12日に、鎌倉十三仏詣りの梅かまくら特別参拝に参加しました。その時のレポートです。住職さんの息子さんが案内してくれました。「特別」な参拝ということで非公開の奥の院・棟立の井と、客殿で、小町通りの社頭の店主高見さんのお話がありました。今回は写真撮影ができませんでしたので、あしからず。
薬師堂にて
はじめて覚園寺に行ったのは、1970年代でした。戦争から20数年でしたから、戦前の足利尊氏は朝敵とされていた時代から、あまり経っていなかったので、知る人ぞ知る、マイナーなお寺でした。その辺はお寺の方が気を使っていた記憶があります。
梅かまくら特別参拝で、円覚寺の舎利殿を見て来たばかりなので、繊細で女性的で小ぶりな舎利殿と違い、覚園寺の薬師堂は同じ五間のお堂でも、大きく男性的だなと感じました。欄間も太いし、正面扉の曲線、花頭枠(かとうわく)も堂々としています。同じ禅宗様式で建築されていても、印象がちがいますな。
住職の息子さんが案内してくれたのですが、明治時代から関東大震災、終戦までの時代のことを少し話ていました。震災で被害にあい、戦後になっても復興できなかった話をしていました。
十二神将像は、当時の武士と同じ、身長160cmくらいに作られていて、極彩色に彩られていました。今もその痕跡が残っています。薬師如来像は薬瓶を持っているのですが、覚園寺のは下から見ると薬瓶が見えませんが、持っているそうです。
奥の院
奥の院まで杉木立のなかの道を行きました、梅と黄色い福寿草が満開でした、これは見事です。墓地を通り谷戸の一番に、奥の院への門がありました。唐門の扉の向こうに尾根に隠れるように、2つの大きな石の宝筐院塔が立っていました。
左が覚園寺初代の智海心慧の墓、右が二世大燈源智和尚の墓です。後ろに小さな卵塔が並んでいて歴代の僧侶の墓でしょか。
毎日開門前に、ここで読経をし、夕方閉門後にまたここでお勤めをするのだそうです。寺務所から遠いので大変だなと思いました。
鎌倉十井のひとつ 棟立の井
棟立の井(むねたてのい)は、山の湧水をためる、横井戸です。こちらも山影にあり風情がある井戸でした。いつもより水位が下がっている話でしたが、豊かな水が溜まっていました。住職が子供の頃は、五月六月は蛍が飛び交っていたそうです。
客殿にて
「特別」な参拝にしたいので、覚園寺さんが用意してくれたのが、客殿で十三仏詣りにの協賛企業からのお話をききながら茶菓子をいただくことでした。過去には井上蒲鉾店の実演とか、三日月堂花仙のパンケーキ講座があったそうです。今年は小町通りの和紙の店社頭の高見店長(作家の高見順の御令嬢です)のお話でした。和紙のお葉書を何枚もいただきました。梅昆布茶に、鎌倉焼きの抹茶味のお菓子をいただきました。
この客殿は、檀家の法要なので使われるため、一般の人は入れないのです。雪国の古民家を移築した建物で、太い梁と太い格子が使われてセンス抜群です。覚園寺のサイトのイラストはここの襖絵でした。つくづく眼福でございました。

覚園寺 客殿

覚園寺 山門
覚園寺とは
宗派 古儀真言宗泉涌寺派
山号寺号 鷲峰真言院覚園寺(じゅぶせん しんごんいん かくおんじ)
創建 永仁四年(1296)
開山 智海心慧
開基 北条貞時
本尊 薬師如来
鎌倉十三佛霊場巡拝 第十一番札所 阿閦如来
健保六年(1218)北条義時がこの地に建立した大蔵薬師堂が前身といわれる。それを永仁四年(1296)、北条貞時再度の元寇襲来が発生しないことを祈り寺に改めた。茅葺の薬師堂には、文和三年(1354)に修理したときに足利尊氏が書いたという文字が記されている
鎌倉の寺 小事典
アクセスデータ
webサイト: | http://kamakura894do.com/index.html |
住 所: | 神奈川県鎌倉市二階堂421 |
電 話: | 0467-22-1195 |
メ ー ル: | kakuonji@kamakura894do.com |
参拝休日 : | 雨天・荒天日及び4月27日、8月1日〜8月31日、12月20日〜1月7日は、拝観を休止 |
入場時間 : | 平日 10:00 11:00 13:00 14:00 15:00
土曜、日曜、祝日 10:00 11:00 12:00 13:00 14:00 15:00
所要時間50分
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拝 観 料: | 大人500円 小中学生200円 |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口
バ ス:京急バス 鎌倉駅⇔大塔宮行き 終点大塔の宮下車 徒歩10分
京急バス、鎌倉駅⇔金沢八景駅行、鎌倉霊園太刀洗行、ハイランド循環行、
岐れ路バス停下車 15分

覚園寺 客殿
2017年2月16日初出
2017年8月12日改訂・写真貼りなおし
2017年8月17日加筆
2018年8月15日写真貼りなおして
荏原天神
http://koten-kagu.jp/2017/08/23/kamakura-117/
白旗神社(西御門)
鎌倉の、ヴィジュアルの良いところを紹介する、ガイド記事を、目指して書いています。
ブログを書くときは、実際に神社仏閣に行って、情報を足で歩いて探して書いています。今のところ有名な名所が、抜けていますが、ご容赦ください。鎌倉市内の観光エリアの寺院はすべて取り上げる予定です。
当ブログ管理人 山本は鎌倉に住んで47年になります。鎌倉市民だから知っている、情報も書きます。他で読むことのない、鎌倉観光情報サイトにいたします。
鎌倉らしい日本の古典デザインの、家具をデザインしたいと思っています。鎌倉の名所めぐり、勉強になります。デザインのヒントもいただけて、ワクワクしながら、取材しています。