女だって胡坐!大河ドラマ「おんな城主 直虎」、歴史上明治時代まで、日本人は正座なんかしませんでした。

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考察インテリアの歴史
おんな城主直虎 http://www.nhk.or.jp/naotora/
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柴咲コウさんの胡坐は、歴史的に正しいです。

「直虎」のポスターが公開になりました。

(2016年11月30日記載)
「真田丸」が大坂の陣に入り、大盛り上がりになっております。来るべく真田丸ロスに向けて、ネットには嘆きも。来年の「おんな城主直虎」 に期待しましょう。

今川義元 (春風亭昇太)見たい!
寿桂尼 (浅岡ルリ子)見たい!
築山殿 (菜々緒)見たい!
徳川家康 (阿部サダヲ)13歳から演じるそう。3回目で離脱決定!(笑い)

2017年2月6日追記、5回目まで見ました。阿部サダヲの13歳家康を見ました、センスについて行けない!

2017年6月20日追記、23回まで欠かさず見ました。このまま最終回まで観ます。高橋一生の小野政次の退場がひたひたと近づき、武田に蹂躙される地獄が近づいています。脚本がどう料理してくれるのでしょうか。

小田原北条氏のファンなので、親戚の今川氏のことは少し知っています。従来今川氏がダメダメ大名に描かれてきたことに少し怒ってます。今度は女性大河なので今川義元の母、寿桂尼にスポットが当たるのでしょう。戦国時代の駿河に寿桂尼がいたことはもっと知られて良いと思います。あまり盛って盛るのは止めて下さい。政治で大活躍はないで、史実からあまり外れないで欲しいです。

直虎の胡坐は、歴史的に正しいのです。

「おんな城主直虎」のポスターが公開されました。サイトにはこの写真がアップされました

直虎のサイトのキャプチャー画像

直虎のサイトのキャプチャー画像NHKのサイトよりhttp://www.nhk.or.jp/naotora/index.html?f=pr

畳が敷き詰てない床に、すり切れた茵(しとね 柴咲さんが坐っている敷物)が地方の豪族らしいです。後ろの掛け軸とか、小袖とかはファンタジーかな。

柴咲コウさんが胡坐をかいています。そこは、中世の女だ!

2017年6月20日追記、ネット・twitterでは、直虎の胡坐について受け入れられて、ちょっと喜んでいます。ドラマの中で、小袖に袴の時は胡坐で坐っています。他の女性陣も立膝をついてほしいけれど、無理かな。「戦国ファション図鑑」植田裕子著 によればドラマの戦国時代の小袖は江戸時代兼用で身幅が狭いので、正座になってしまうそうです。残念!

直虎の衣装

直虎の衣装 NHKサイトhttp://www.nhk.or.jp/naotora/special/pickup12/より

大河ドラマがらみで 江戸東京博物館の真田丸展

2016年大河ドラマ特別展 真田丸 江戸東京博物館 ドラマが好きなら誰でも楽しめます。
近藤正臣・本多正信「お館様ー、真田が攻めてきました。」老体にむち打ち駆け込んでくる。内野聖陽・徳川家康「何処に来ておるのか。」思わず膳をひっくり返す。 近藤・正信 「両国でございます。」と言うとつっぷす。 内野・家康 「近い、近すぎるー...

「戦国ファション図鑑」 の紹介

404 NOT FOUND | 鎌倉巡り、着物と歴史を少し
鎌倉の名所 鎌倉の歴史と芸術 今の鎌倉の生活

日本の坐り方の歴史、江戸時代までは正座以外の座り方も、OKでした。

以下の文章は「日本人坐り方」矢田部英正 集英社新書を参考に書いています。正座(端座 たんざ)が礼装・フォーマルになったのが江戸時代。とってもマイナーな坐り方でした。大正時代に学校教育で正座がフォーマルな坐り方になり。普段の坐り方も正座になりました。

安土桃山時代までの、坐り方。正座なんかしていません!

江戸時代までの日本人の坐り方は、多様な坐り方が許されていていました。支配階層のフォーマルな場面では正式な坐り方がありました。日常生活や何か作業をするときは、自由に楽な坐り方をしています。

平安時代、男でも女でも袴を着けて上着(例、狩り衣、水干、小袿)着ていたので、崩れた坐り方をしても、気づかれませんでした。大陸からきたイス、胡床(こしょう)が、上流貴族も天皇も座ら無くなり、鎌倉時代には消えてしまうくらい、身分の上下にかかわらず、床や畳や地面に坐ることが普通になりました。

平安時代の何枚もの小袿に、ゆったりとした袴をつける十二重では、足をどのように組んでいたか、外からでは分りません。衣の下で自由に足を組み替えていたのでしょう。

時代が下がると、庶民は下着だった小袖を表に着るようになりました。小袖は江戸時代~現代の着物と比べると、身幅が広いのです。これならば、どんな坐り方足の組方をしても大丈夫です。柴咲コウさんではありませんが、女性で胡坐をかいても、「だらしがないとか」絶対に言われません。不便がなくてよいですね。

男も女も袴のたぐいも、穿いているので中世ではどんな坐り方をしても大丈夫でした。

ちなみに、安土桃山時代までの映画・ドラマで女優さんが正座しているのは、きものが江戸時代兼用で身幅が狭いからだそうです。今のドラマは意志をもった行動的な女性が主役になるのが流行りです。袴姿の時は、思いっきり自由な坐り方を演じてもらいたいです。

「戦国ファション図鑑」
http://koten-kagu.jp/2016/07/25/book-2/
「日本人坐り方」矢田部英正 集英社新書を参考に書いています

江戸時代は正座が礼法なりました。多様な坐り方もしています。

あの千利休は立膝で茶を点てたそうです。江戸時代になってもお茶会で立膝をしていました。

江戸時代のはじめまで正座(端座 たんざ)は珍しい坐り方でした。徳川幕府が定めた武家の礼法で、正月に将軍に挨拶するときの坐り方が正座になりました。だからといって武士がいつでも正座するようになりませんでした。

徳川幕府が発足早々の寛永八年(1631)に幕府が反物の規格を中世より狭く決めました。同時に、身幅を体にあわせて細くする、女性の着物では裾をお引きずるにするといった裁縫の方法が変わり、小袖から今の着物に変わりました。身幅が狭くなったことで正座しないと奥まで見えてしまいます。着物の裾がみだれないように正座をするようになりました。

それでも、浮世絵などの女性は、屋内で着物のおはしょりを外し裾を引いていて、足元に布がたっぷりあったせいなのか、立膝や足を崩した坐り方もよくしています。見苦しくなければ他の坐り方も許す社会だったのです。

家事や作業なので、負担を軽くするため、前掛けをする。屋外でしゃがむためゲタをはくなど楽で、見苦しくならない工夫もしています。

江戸時代は正座が礼法に登場した時代でしたが、カジュアルの場では都合に合わせて多様な坐り方が認められていました。

大正時代、学校の授業で正座以外、無礼になりました。

小学校が義務教育化した明治時代。明治十三年(1873)小笠原流弓馬術礼法の当時の当主が礼法教育を東京府に申し出て、東京の小学校で小笠原流の礼法教育が行われた。また地方では反小笠原流の小学生の日常生活に即した礼法の教科書が登場しました。

明治時代は「正座」の名称すら一般に知られてなっかったですが、明治末には東京を中心に小笠原流の礼法教育が普及しました。

大正時代には「正座」がフォーマル・礼儀での特別な坐り方ではなく、
カジュアルでリラックスする場面ですら、「正座」だけ認められ、他の坐り方は、いけない坐り方にされました。

畳の業界団体様、小笠原流を説得だ!

正座は美しいです。坐るため腰を落とす動作も、立ち上がることも美しいです。だからと言って、正座以外坐り方を一切認めないことが、現在まで続いています。

床に直接坐れることは、好きな場所どこでも坐れる、イスが不要になるメリットがあります。「畳の部屋より、洋間好き」と言っている人も、「足がしびれる」が理由だったりします、他の坐り方を認めてはいかがなものでしょうか。

現代日本人には正座は無理!

しびれ無いのには、筋肉も柔軟性もいる。

昔の日本人や、芸者さんや伝統芸能者が、何十分でも正座していられるのは、日々長時間の稽古を正座で行ったり。日常生活で、畳の部屋で座布団の上に正座して暮らしているからです。

正座はお尻の下に足首を畳み込みます。正座をいつもする人には、筋肉もついて、足首が柔軟になっています。坐ることに慣れていない多くの日本人はそれがありません。

床に坐ってばかりだと身長が伸びない!俗説があります。

昭和30年代~40年代に、身長が高い人がカッコいいという価値観が生まれました。現代でも男性は170cmは最低欲しいでしょう。

その当時、真しやかに言われたことは、「畳に座っていると身長が伸びない、イス生活に切り替えよう。」これは科学的な根拠はあるのか分りませんが、身長が伸びないと言われればやめるしかありませんでした。住宅に洋間が増えたのにはこんな理由もありました。

今の歌舞伎俳優さんや能楽師さんをみていると、皆さん普通の身長です。成長期に長時間、正座で稽古をしてきた方達なので、日本人の身長が高くなったのは体格の向上でしょうか?

正座しかできないと、膝を痛めてしまう人がいます。

長年正座をしてきた人が、ひざを痛めてしまうことがあります。

邦楽楽器の演奏者で、ひざを痛めて正座が出来なくなり、立ったりイスに座ったりで演奏するプロの演奏家がいます。邦楽のコンサートの写真をみると洋楽器のコラボなどもあるのか、洋楽器のコンサートのようにイスです。家族ですが、長年能楽の仕舞・謡曲を稽古していました。高齢で足が痛いので止めてしまいました。正座に耐えられなくてお稽古を止める高齢者はけっこういるかと思います。

畳を日本人が取り戻すには、中世の多様な坐り方に戻そう。

畳を日本人が取り戻すには、立膝、横坐り、女性の胡坐を認めるべきです。中世の多様な坐り方の復活しかありません。現代の日本人には「正座」が無理なのです。正座が出来ないので畳の上にイスを置く、さらに畳不要、そして日本間が廃れていく、日本文化の危機です。

畳の業界団体様、小笠原流弓馬礼法をはじめとする、茶道・華道・各邦楽の家元を説得して、他の坐り方を認めさせるべきです。

最近やたらと、イスでのお点前とか、邦楽の演奏とか見かけるのですが、イスを導入する前に、立膝を認める。パンツの女性も増えたので女性の胡坐をみとめる。こうすることで、座敷を離れないで、お茶会やら、色々な和のことが続けられます。

観楓図屏風 部分 国立東京博物館所蔵

観楓図屏風 部分 国立東京博物館所蔵 安土桃山時代http://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl&colid=A10470&t=type&id=11

坐ること、座敷、畳……これからも考えていきます。

「家具の企画をやりたいんですよー、」「日本の古いデザインの家具が作りたいです。」と言っている山本さんです。どうも”座いす”と”低座いす”が、好きになれません。これらは畳の座敷でイス並みの機能を持つものとして発想されたものです。イス文化に寄っていかなくても。楽な坐り方をすることにより、日本人にとって畳はリラックスできる楽しい所になると思います。

大佛次郎邸

大佛次郎邸

2016年11月30日初出
2017年2月6日加筆
2017年6月17日加筆・改訂
2017年6月21日改訂
2019年11月20日リンク解除

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