戦国時代の玉縄北条氏のお寺です。
源実朝伝説
龍宝寺の辺りは、むかし七騎谷と呼ばれる、人が入らない谷でした。鎌倉三代将軍源実朝が、鶴岡八幡宮で、甥の公暁に殺されたとき、その首を持って逃げた七人の騎馬武者はこの谷に隠れて、追手から逃れたそうです。
戦国の城、玉縄城主、北条氏に縁がある寺です。
龍宝寺の向かい側に見える山は玉縄城です。玉縄北条氏の菩提寺として戦国時代には栄えました。玉縄城はは、伊勢宗瑞(北条早雲)の次男北条氏時が初代城主、三浦半島と武蔵の国の押さえとして、宗瑞が築城させました。鎌倉の政治的な地位が下がると、玉縄城がその役割をにないました。
里見義豊・武田信玄・上杉謙信らが攻略をあきらめた城です。天正17年の豊臣秀吉小田原攻めでは徳川家康軍にかこまれ、五代城主北条氏勝は龍宝寺住職の説得により無血開城しました。
徳川支配下では、玉縄城は本多佐渡守正信(大河ドラマ 「お江」では草刈正雄さん、「真田丸」では近藤正臣さん、「おんな城主直虎」六角精児さんが演じています)が城主になりました。

見どころ
山門
龍宝寺の主な建物は昭和26年に火災で焼けました。山門は唯一残った江戸時代の建物になります。
江戸末期 四脚門 虹梁大束東笈形式 一間×二間 切妻・茅葺 丸柱 三斗詰組
鎌倉では時々時空のねじれが起こるので、弁慶がでます(笑い!)

龍宝寺 山門

龍宝寺 山門
本堂
戦後火災で焼けてしましい、昭和34年に建築史学者の大岡実の設計により再建。大岡実建築事務所サイト内龍宝寺のページ
本堂には本尊の宝珠釈迦如来像と、脇侍の文殊・普賢菩薩がまつられています。歴代玉縄城主と源実朝の位牌が安置されています。

龍宝寺 本堂

龍宝寺 本堂

龍宝寺 本堂
玉縄北条氏の供養塔
本堂左手にあります。2012年の開城500年祭りのときにできました。
なお裏山に、歴代城主の墓があります。

龍宝寺 玉縄北条氏の供養塔
新井白石の碑
旧石井家住宅の反対側の小道を入ったところにあります。
江戸時代の朱子学者・新井白石が植木に家禄を得ると、白石はそのうちの200石を龍宝寺に献上しました。当時朝鮮からの使者を藤沢宿まで出迎え、龍宝寺を宿舎にしました。
碑は同じ先生の門下生だった室鳩巣が揮毫しました。今では摩滅して見えません。

新井白石の碑
旧石井家住宅と玉縄民俗資料館
石井家は玉縄城の侍の家でした。江戸時代になりこの地の名主になりました。旧石井家住宅は17世紀中ごろの建設と推定され、土間そい広間と2部屋ある三間取りの形式。寄棟造り茅葺、神奈川県下の古い農家のとして貴重。入場料100円(民俗資料館と別)
コンサートや落語会に活用されています。
石井家住宅の紹介エントリーです。

2012年のレポート


龍宝寺 旧石井家住宅
玉縄民俗資料館は、玉縄城の立体模型など資料、考古学資料と、石井家と近隣の民具が展示しています。入場料100円(旧石井家住宅と別)
こらむ、
芍薬の畑
龍宝寺は鎌倉市内でも花の寺として、知られています。春に豪華な花を咲かせる、芍薬の畑が本堂前に広がっていました。季節になるとさぞ見事かと思います。いずれそのころに再レポートいたします。
広い境内の写真

龍宝寺 境内

龍宝寺 見ざる聞かざる言わざる
玉縄城主墓前祭
2016年10月29日(土)に訪問しました。玉縄城主墓前祭ということで、見物に行ってきました。http://tamanawajo.sakura.ne.jp/event.html#1029-1
10時から龍宝寺本堂で法要、そのあと柳生新陰流の春風道場の演武がありました。源義経が静御前に教えた、女性専用の薙刀静流が唯一こちらの道場で伝承されています。

玉縄城主墓前祭http://tamanawajo.sakura.ne.jp/event.html#1029-1

龍宝寺2016年玉縄城主墓前祭

玉縄城主墓前祭 演武
玉縄城築城500年祭 2012年

玉縄北条氏とは
小田原北条氏は、伊勢宗瑞(北条早雲)からはじまりました。宗瑞は三浦氏攻めに開いた玉縄城は一族の重要人物が城主になりました。初代城主は早雲の次男の氏時、2代目は北条氏綱の子で氏康の弟の為昌がなりました。急死したため、北条氏綱の養子で娘婿の北条(福島)綱成りが城主になりました。
北条綱成は、有名な戦国武将で数々の戦功をあげました。朽葉色に「八幡」と書いた「地黄八幡」の指物を使い。大将でありながら「勝った、勝った」と叫びながら先頭切って敵に突っ込み、敵に怖れられました。

北条綱成の「地黄八幡」の指物
北条綱成の子、北条氏繁も武勇に優れていました。また文化面で優れていて、絵も描きました。鷹の絵が今に残っています。
リンク集
北条大河・玉縄北条氏・地元のリンクです。
北条五代観光推進協議会 大河ドラマ誘致 | http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/hojo/ |
玉縄城址まちづくり会議 | http://tamanawajo.sakura.ne.jp/index.html Facebook https://www.facebook.com/tamanawajyoshi |
玉縄歴史の会 | http://www.tamareki.com/index.html |
マイタウン玉縄 | http://www.tamanawa.net/ |
蕎麦 ふる川 散策のお食事に。
龍宝寺の隣にあります。わたしが行ったときは「そば」ののぼりが出ていました。普通の住宅の一階でした。玉縄地区は観光地ではなく住宅地です。観光客向けのカフェなどありませんのて、この店は散策には便利かと思います。
玉子焼きなど酒の肴が、充実しています。価格・メニューとも一般的なそば店。
蕎麦 ふる川
Facebook https://www.facebook.com/soba.furukawa/
住所 鎌倉市植木110-2
電話・FAX 0467-84-7950
営業時間・お休みは、お問い合わせか・Facebookで確認してください。
2016年10月は
店休日 火曜日、
昼 11:30~ラストオーダー14:30
夜 17:30~ラストオーダー20:00

蕎麦 ふる川

蕎麦 ふる川
情報:トンネルを抜け、少し歩いて行くとショッピングセンターのコーナンがあります。
龍宝寺とは
宗派 曹洞宗
山号寺号 陽谷山龍宝寺(ようこくざん りゅうほうじ)
創建 文亀元年(1503)戦国時代
開山 泰絮宗栄
開基 北条綱成
本尊 宝珠釈迦如来
玉縄城主は北条綱成が文亀三年(1503)に建立した瑞光院がこの寺の始まり。開山は泰絮宗栄(たいしょそうえい)禅師と伝えられる。
天正三年(1575)、玉縄四代北条氏勝によって現在地に移された。龍宝寺の名は氏勝の父である三代氏繁の戒名「龍宝寺殿大応栄公大居士」からとられている。
鎌倉の寺 小事典
アクセスデータ
webサイト: | 無し |
住 所: | 神奈川県鎌倉市植木129 |
電 話: | 0467-46-2807 |
入場時間 : | ~日没 |
拝 観 料: | 無料 旧石井家住宅・玉縄民俗資料館はそれぞれ100円 |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線・湘南モノレール大船駅西口 徒歩20分
バ ス:神奈中バス 大船⇔関谷インター⇔藤沢 植木谷戸 徒歩3分
玉縄城と龍宝寺
旧石井家住宅 玉縄城下、龍宝寺にある江戸時代の民家です。アクセスデータ付き

玉縄城築城500年祭に行きました。玉縄城データーもあります。

うつくしい、江戸初期の家を見に行く、鎌倉旧石井家住宅。
