三渓園で唯一つ、いつでも上がれる建物です。
旧 矢箆原(やのはら)家住宅は、三渓園の数ある、歴史的な建物のなかで、唯一、いつ行っても、建物の中に上がれるます。
三渓園では、将軍家、大名家ゆかりの御殿が、いくつも移築されています。内苑の臨春閣など、障子が開けられて。室内が見れるのです。それはそれで、貴重な建物のすぐそばに近づけるので、またとない体験なのですが、やはりどこかの建物に上りたいです。
そんな中、外苑の旧矢箆原家住宅だけは、春・夏・秋の特別公開でなくても、いつでも建物内に入れます。
畳の部屋のない家に、住んでいる人が増えました。こんな時代ですから、伝統日本家屋に上がり、畳を敷いた座敷に行きましょう。心が落ち着きます。
ダムに沈む、合掌造りの民家を、移築
旧矢箆原家住宅は、岐阜県大野郡荘川村にありました。昭和32年、ダム工事にともない水没することになり、これを救うため三渓園に移築されました。重要文化財。
旧矢箆原家住宅は、書院造り+農家+3階建ての屋根裏部屋
旧矢箆原家住宅の特徴の一つは、荘川合掌造りです。
合掌造りで有名な、世界遺産の白川郷五箇荘の合掌造りは、切妻屋根です。
荘川合掌造りは入母屋の茅葺になります。
江戸後期に一階部分は、飛騨高山の大工が建て、屋根の骨組み部分と茅葺は、村人の「結(ゆい)」という共同作業で建てられました。
屋根のつまに、火燈窓(花頭窓 かとうまど)のデザインがもちいられています。
一階の南側は、農家作り
一階部分の南側は、普通の農家の作りになっています。見学者は建物左手の、農家出入口から、入ります。そばに大きな土間があって、農作業や運搬に使う馬が体調管理するため、ここで飼われていました。
表側の広い囲炉裏のある部屋「おいえ」は家族の団らんの部屋で、村の寄り合いも行われました。
裏側にある「だいどころ」の囲炉裏は、煮炊きに使いました。この家には「かまど」がありません。
一階の北側は、立派な書院造り
三渓園は徳川将軍家・大名家ゆかりのお屋敷が、いくつも移築されています。書院は最重要な部屋なので、そのデザインには大変気を使っています。
旧矢箆原家住宅は、それに対して、飛騨地方の大農家とはいえ百姓なので、見学前はたいしたことはないだろうと思いましたが。なかなか立派でした。欄間には錨と櫂と、扇ちらしのデザイン床の間のしつらえも、良かったです。
書院の部分は、飛騨が幕府直轄の天領なので、役人の接待に用いられました。
二階は、民具の展示
旧矢箆原家住宅の屋根裏はかつて、養蚕をしていました。この部分は大工ではなく、村の共同体「結」で作られました。
屋根裏で、サスという丸太30本を、コマジリが支えています。
矢箆原家と飛騨地方の民具、1000点が収蔵されていて、2階に展示されています。
感想 軒の深い家はいいな
2016年の8月16日に、三渓園を訪問した時の、旧矢箆原家住宅の見学記です。2階の民具の展示スペースは、暗くて実はよく見えませんでした。本やパンフレットを読む前に見学したので、写真がないものあります。これかも三渓園に勉強に行くので、再度撮影し、このエントリーを補完していきます。
三渓園の他の建物もそうでしたが、戦前までに作られた日本の木造家屋は、屋根の軒先が深い家が多かったです。民家でも一間くらいはありました。濡れ縁(よく、縁側と間違えられる)、なんていう木製の張り出しが作られる位でした。
現在の日本人は、家の中に光を求めすぎています。リビングの窓を、はめ殺しの巨大窓にしたり、窓の数を増やしたり。光を求めるあまり、屋根を小さくして軒先を狭くしました。
旧矢箆原家住宅を見学して、軒の深い昔ながらの家もいいなと思いました。よく言われる、雨風が防げる、建物や中の家財の「日焼け」防止になる、という利点以外にも。炎天下でも、しのぎ易かったです。光の問題は、昔の女性は、縁側で裁縫をしていました。旧矢箆原家住宅では机が格子窓の前にありました。光量不足は、窓際で作業することで、補っていました。
軒の深い家が復活してきても、良いかと思います。
裏側にある「だいどころ」の囲炉裏は、猛暑の日の訪問でしたけれど、火がはいっていました。空気が乾燥するようで、火の暖かさを感ずるのですが、心地が良かったです。一年中、囲炉裏の火を絶やさないのには、こういった理由もあるのかしら?
三渓園の各建物の、紹介
内苑
御門(ごもん) 横浜市指定有形文化財
京都東山の西方寺より、海岸門ともに移築されました。薬王門です。
白雲邸(はくうんてい) 横浜市指定有形文化財
臨春閣(りんしゅんかく) 重要文化財
旧天瑞寺寿塔覆堂・月華殿・亭榭 豊臣秀吉・徳川家康ゆかりの建物
旧天瑞寺寿塔覆堂(きゅうてんずいじじゅとうおおいどう)
豊臣秀吉が母大政所の病気回復を祈り、建てさせた寿塔を保護するお堂。豪華な彫刻が彫られています。
月華殿(げっかでん)
徳川家康が将軍宣下のとき、伏見城中に大名の控え室として建てさせました。安土桃山時代の書院造り。
亭榭(ていしゃ)
庭園内の屋根付きの橋です。こちらは原三渓が建てたものです。
豊臣秀吉の正室根寧が出家して、余生を過ごした京都高台寺の観月台を模しています。
金毛窟(きんもうくつ)茶室 重要文化財
天授院(てんじゅいん) 重要文化財
鎌倉の建長寺の塔頭より移築された、禅宗様式の仏堂です。原家の持仏堂になります。
聴秋閣(ちょうしゅうかく) 重要文化財
春草廬(しゅんそうろ)茶室 重要文化財
蓮華院(れんげいん)茶室
海岸門(かいがんもん)
京都の東山西方寺より、御門とともに移築されました。
三渓記念館
三渓記念館は、内苑の入り口にあります。ミニ美術館とミュジアムショップと、抹茶処があります。立ち寄ることを、おススメします。
鶴翔閣(かくしゃうかく)
原三渓の自宅、明治35年(1902)建設。平成12年修復工事。
※毎年8月に公開されます。
2016年8月の公開の様子。室内の写真が見れます。
外苑
旧燈明寺三重塔(きゅうとうだいじさんじゅうのとう)重要文化財
松風閣 展望台
林洞庵(りんどうあん)茶室
初音茶屋(はつねじゃや)休憩所
梅林 臥龍梅
寒霞橋
横笛庵(よこぶえあん)茶室
旧東慶寺仏殿(きゅうとうけいじぶつでん)重要文化財
鎌倉の駆け込み寺で有名な東慶寺よりの、移築。江戸初期の禅宗様式。
旧矢箙原家住宅(きゅうやのはらけじゅうたく)合掌造り 重要文化財 いつでも見学できます。
旧矢箆原家住宅は、岐阜県大野郡荘川村にありました。昭和32年、ダム工事にともない水没することになり、三渓園に移築されました。
江戸末期に建てられ、一階は飛騨の大工の作った、書院と農家。屋根裏部屋は村人が共同で作った合掌造りです。内部の見学ができます。
旧燈台寺本堂(きゅうとうだいじほんどう) 重要文化財
三渓園 アクセスデータ
w e b: | http://www.sankeien.or.jp/index.html |
住 所: | 神奈川県横浜市中区本牧三之谷58-1 |
電 話: | 045-957-0634 045-957-0635 |
休 園 日: | 12月29日・30日・31日 |
開館 時間: | 9:00~17:00(入園は閉園の30分前まで) |
駐 車 場: | 乗用車 最初の2時間500円、以降30分毎100円当日最大1,000円 バス 駐車時間に制限なく、1利用につき1,000円 |
入 場 料 : | 大人(中学生以上)500円(400円)小人(小学生)200円(100円) ( )内、20名以上の団体、大人・小人の区別はありません。 学生だけで構成された団体は、学生団体入園料金250円 回数券、年間パスポート、前売券 入園料免除(無料)の規定もあります。詳しくはこちらに。 |
アクセス方法
web交通ページ http://www.sankeien.or.jp/access/index.html
電車・バス
駅名 | バス乗り場 | バスの系統 | 降りるバス停 |
JR京浜東北線 根岸駅 | バス1番乗り場 | 横浜市営58・99・101系統 | 本牧 下車徒歩10分 |
JR 東急 京急 相鉄 市営地下鉄 横浜駅東口 | バス2番乗り場 | 横浜市営8・148系統 | 本牧三渓園前 下車 徒歩5分 |
JR京浜東北線 桜木町駅 | バス2番乗り場 | 横浜市営8・148系統 | 本牧三渓園前 下車 徒歩5分 |
市営地下鉄元町・中華街駅 4番出口 | 山下町バス停 | 横浜市営8・148系統 | 本牧三渓園前 下車 徒歩5分 |
2016年9月8日初出
2022年2月13日改訂