浄妙寺|浄明寺町 足利氏ゆかりの鎌倉五山 喜泉庵と石窯ガーデンテラスのある、静かなお寺でした。アクセスデータ付き。

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浄妙寺 本堂二階堂・朝比奈
浄妙寺 本堂
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浄妙寺、鎌倉五山

鎌倉五山第五位です。五山制度は中国のそれに倣って、室町幕府がはじめました。京都五山・鎌倉五山のトップは、室町幕府が指名しました。

浄妙寺はその室町幕府の、足利家に大変ゆかりのある寺院です。鎌倉時代初期に足利義兼が創建した極楽寺が前身です。創建時には密教でしたが、蘭渓道隆の弟子が住職となり、禅の寺に変わりました。浄妙寺の名は、足利尊氏の父、貞氏の法名から来ています。

浄妙寺は庭も整備されて、庭の美しい寺院です。石庭のある喜泉庵は一見の価値があります。

私、江戸紫は鎌倉に52年住んでいます。中世史の研究書を読むのが趣味ですが。(つまり歴史オタクです)当ブログは、当ブログは、最近の歴史学の研究成果を、できるだけ取り入れて書いています。

浄妙寺 庭園

浄妙寺 庭園

浄妙寺アクセス

最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口

バス :京急バス、鎌倉駅 ⇔ 金沢八景駅・鎌倉霊園太刀洗行・ハイランド循環行

浄明寺バス停下車 2分

浄妙寺の庭園

浄妙寺の庭園

浄妙寺

浄妙寺

見どころ

山門

禅寺らしい、風格ある山門で、古建築かなと思ったら近代の建築でした。黒い大きな金具が印象的です。名物ではありませんが、格式のある禅宗寺にふさわしい門で、いつも感心します。

浄妙寺 山門

浄妙寺山門

浄妙寺 山門

浄妙寺 山門

庭園 コロナ禍で新しくなりました。

浄妙寺の庭園は、梅の花が綺麗でなかなか良いと思いますが、喜泉庵の石庭以外は、鎌倉では印象が強くないかなと感じていました。

コロナ禍で3年程行けませんでした。久しぶりに行って、山門をくぐって、驚きました。光悦垣こうえつがきが設置されて、印象に残る庭になりました。

再訪したときは紅葉に行き合いました。浄妙寺は梅も紫陽花も植えられています。他の季節に行ってもよろしいかと思います。

「光悦垣」は京都の鷹ヶ峰にある、光悦寺の庭にある竹垣のことです。

浄妙寺の庭園

浄妙寺の庭園

浄妙寺 庭園

浄妙寺 庭園

本堂

屋根の稜線が曲線なのが、印象的です。江戸時代の宝暦6年(1756)に建てられた建物です。

屋根は以前茅葺屋根でした。現在は銅板葺きです。本堂右側の庫裡も同じ屋根なので、建物にリズム感があります。

古建築データ

  • 時代 江戸時代 宝暦六年
  • 形式 客殿・方丈 住宅系本堂
  • 広さ 八×六間
  • 屋根 寄棟・銅板葺き
  • 柱と軒組 角柱

元、方丈

通常は本堂の中に上がれません。御本尊様と距離があるのが、ちょっと残念です。

梅かまくら特別参拝で本堂に上がりましたので、下に拝観記を書きます。

浄妙寺 本堂

浄妙寺 本堂

浄妙寺 本堂

浄妙寺 本堂

開山堂

本堂の裏にあります。ここには浄妙寺の寺宝が納められています。2015年に宝蔵庫を、住職が熱望されて、開山堂に改造しました。

仏像の前にシャッターがついていて、センサーで火災を感知してシャッターが降りるそうです。

一般客のへの公開は、年に一度、梅かまくら特別参拝になります。

浄妙寺 開山堂

浄妙寺 開山堂

足利貞時の墓

室町幕府を開いた、足利尊氏の父、貞氏の墓になります。場所は本堂の後ろの墓地の中にあります。

鎌倉時代の足利氏は、北条家と代々婚姻を結び生き延びました。室町幕府を開くと足利氏は「源氏の嫡流」と大宣伝しました。現実は特に有力視されていない、普通の有力御家人でした。

足利貞氏は、足利家時と北条時茂の娘の間に生まれました。従五位下讃岐守に叙されました。仁治3年(1301)北条貞時の出家にあわせて、出家し足利讃岐入道と呼ばれました。鎌倉幕府滅亡直前の元弘元年9月59歳で亡くなりました。

鎌倉時代の足利氏は、北条氏と婚姻関係を持ちつつ、三浦氏・和田氏・畠山氏のように粛清されないように、鎌倉時代をサバイバルしていたようです。

浄妙寺 足利貞氏の墓

浄妙寺 足利貞氏の墓

足利直義の墓

中世史ファンには、人気がある足利直義の墓は、石窯ガーデンの入り口から登ります。歴史オタクは、鎌倉旅行で直義の墓に行くと感激!します。

石鍋ガーデンから上る坂道を上り切ると、竹林の中に大きなやぐらが3つあります。その3つのやぐらの、一番手前のやぐらに直義の墓はあります。

足利直義は、貞氏の子で、足利尊氏の同母弟になります。元弘3年(1333)の鎌倉幕府滅亡、暦応元年(1338)の尊氏の征夷代将軍就任・室町幕府開設までは、兄と一心同体でした。

幕府が出来ると兄の尊氏は、燃え尽き症候群となり、実務を弟の直義と、足利家の執事の高一族に任せました。この両者の間で主導権争いが勃発します。それに南朝側も絡んで複雑な様相となったのが、観応の擾乱です。

足利直義と高師直ら高一族との、室町幕府No.2争いは、高一族が殲滅されたことで、次の展開になります。

なんと足利尊氏と直義が戦うことにになったのです。原因の一つは直義が養子にした、尊氏の隠し子、直冬と尊氏が敵対したからです。直冬は尊氏がその出生に疑問を持っていました。その直冬を直義は不憫と思い養子にして、鎮西探題に就けさせました。

直冬が尊氏と敵対した時、直義は消極的な戦いをしています。西国から尊氏軍が上洛すると、北陸に居た直義は、行方をくらましました。次に直義が姿を現したのは鎌倉でした。

直義軍と尊氏軍は、観応二年(1351)十一月駿河の国の薩埵山で決戦を迎えました。京都から来た尊氏軍は、圧倒的な強さで直義軍に勝利しました。

正平七年(1352)正月五日尊氏と直義は鎌倉に戻りました。

二月二十五日、直義の甥で養子にもしていた、初代鎌倉公方基氏が、元服しました。その翌日、直義は死去したのでした。享年四六歳でした。

奇しくも、この日は一年前、高一族が摂津の武庫川で粛清された日でした。翌日は幼くして亡くなった、実子の如意王の一周忌でした。

この奇妙な死は、昔から、直義は尊氏により毒殺された説がまことしやかに云われています。史料では「太平記」ぐらいしかありません。記述されている「鴆毒(ちんどく)」は南方の鳥の毒と云われていますが、その存在は確認されていません。

毒殺説は史実ではないでしょう。直義は一種の過労死だと私は思います。養子の基氏の元服で、肩の荷が下りたことで、緊張の糸が切れて亡くなったのだと想像しています。

参考文献

観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書) 亀田俊和 著

kindle ¥899- Amazon ¥946- 2022年12月2日調べ

浄妙寺 足利直義の墓

浄妙寺 足利直義の墓

喜泉庵で、抹茶をいただきましょう。

境内にある喜泉庵は、平成に再建された建物です。純日本家屋をぜひ経験してください。

抹茶がいただけます、いす席もありますので、正座の苦手な人も気兼ねなく行ってみて下さい。

2022年11月現在の、喜泉庵のメニュー
抹茶 生菓子付き ¥1,100-
抹茶 干菓子付き ¥600-

玄関には江戸時代の駕籠が、天井に飾ってありす。江戸時代に住職さんが江戸に行く時、使っていた駕籠です。

浄妙寺 喜泉庵の庭園

浄妙寺 喜泉庵の庭園

浄妙寺 喜泉庵の床の間

浄妙寺 喜泉庵の床の間

浄妙寺 喜泉庵の抹茶と上生菓子

浄妙寺 喜泉庵の抹茶と上生菓子

江戸時代、江戸に行くため、使っていた籠。

江戸時代、江戸に行くため、使っていた駕籠。

石窯ガーデン

境内の高台に、地元で有名なイタリアン、石窯ガーデンテラスがあります。今回見られませんでしたが、イングリッシュガーデンもあるそうです。お茶での利用も可能です。

浄妙寺 石窯ガーデンテラスの看板

浄妙寺 石窯ガーデンテラスの看板

鎌足稲荷神社と、三宝荒神をまつる、本寂堂

一旦山門を出て、浄妙寺に向かって右側坂道を登ると、浄妙寺の寺内神社があります。

右手の石段を上には、三宝荒神まつる、本寂堂があります。小さなお社です。本尊の三宝荒神は、開山堂にいらしゃいます。

柵の先の道を、山の方に向かうと、また石段があります。こちらは先ほどより段数が多いです。手すりがついて、整備されています。

それでも鎌倉石の階段はすべりやすいの気をつけたください。そちらに鎌足稲荷神社があります。本尊の鎌足像も、開山堂にあります。

2022年11月確認 現在は立ち入り禁止です。

鎌足稲荷神社は、藤原鎌足の伝説があります。大化二年(648)に鹿島神宮に参詣する途中。夢に白髪の老人が現れ、

「お前を守ってやる。霊験あらたかな剣を授けるので、この地に埋めたのならば、天下がよくよく、治まるであろう」

目覚めたら鎌槍があり、白狐に案内され、この地に埋めたことが、「鎌倉」地名のはじまり、という伝説があります。

浄妙寺

浄妙寺

浄妙寺 本寂寺

浄妙寺 本寂堂

浄妙寺 鎌足稲荷神社

浄妙寺 鎌足稲荷神社

こらむ 浄明寺の東隣に、足利氏は住んでいたのか?

よく浄妙寺の解説で、足利氏が東隣に住んでいて、室町時代の鎌倉公方のいた鎌倉府はそこに置かれましたと書かれています。正解ではあるのですが、鎌倉府も何回も移転しています。もとより鎌倉時代の足利氏も、鎌倉の別の所に住んでいました。

鎌倉時代の足利氏の屋敷は、嫡流が若宮馬場本(鶴岡八幡宮近くか)と亀ヶ谷にあったと推測されます。

足利尊氏の鎌倉での墓がある、山ノ内の長寿寺は、足利尊氏の屋敷跡です。拠点の亀ヶ谷に通じる亀ヶ谷切通しの入り口にあります。

建武2年(1335)中先代の乱により、足利尊氏が後醍醐天皇の帰京命令を無視し鎌倉に居座ったとき、鎌倉幕府の若宮大路御所の跡地に、尊氏は屋敷を新築しました。

初代鎌倉公方持氏の御所は亀ヶ谷に置かれました。二代目の氏満のときに浄妙寺の東隣りに移りました。ここは「大蔵谷(おおくらがやつ)御所」呼ばれました

現代では、大倉というと鶴岡八幡宮の東の辺りで、初代の鎌倉幕府のあった所になります。中世では鶴岡八幡宮のから十二所の広い地域を指しました。

浄妙寺周辺には、鎌倉府No2関東管領の上杉氏の住まいがありました。室町時代は管轄の関東地方の守護は、鎌倉に駐在していました。有力氏族の邸宅も交通の便の良い所にあったのでしょう。

三代目鎌倉公方足利持氏は、六代目室町将軍足利義教と戦争になりました。永享の乱により浄妙寺隣の鎌倉府は焼け落ちました。

四代目鎌倉公方足利成氏は、浄妙寺の隣ではなく、何カ所か御所を移しました。享徳三年(1454)鶴岡八幡宮東隣の、西御門の御所で、成氏は関東管領上杉憲忠を殺害しました。古河へ出兵した成氏は、二度と鎌倉へは戻りませんでした。

長寿寺

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参考書籍

こらむ 初公開の開山堂を、梅かまくら特別参拝で、拝見。

2016年3月8日の、鎌倉十三仏詣りの、主催の梅かまくら特別参拝に参加しました。

内容は、本堂→開山堂の順に、説明を受け、仏様を拝みました。写真撮影は禁止です。

本堂の仏様

本尊 釈迦如来座像 金のぽってりとした、蓮の上に坐っていました。

右脇侍 淡島大明神立像 彩色された像です。婦人病に霊験あらたか。

説明のなかで、足利尊氏の描いた地蔵尊の絵を所蔵しているそう。南北朝クラスタさん狂喜しそうな、絵画ですね。いつか見たい。画像がないかな。市の文化財だそうです。

本堂の裏、観光客には見えない場所に、石のお庭がありました。

早咲きの梅

早咲きの梅

開山堂の仏様

本堂の真後ろにある、宝蔵庫を、住職が熱望されて、開山の行勇律師の像をおまつりする、開山堂に改造したそうです。

開山行勇律師像のまえにシャッターがついていて、センサーで火災を感知してシャッターが降りるそうです。木の色が新しいお堂でした。

三宝荒神立像 密教系の仏様です、1mくらいの高さかな、ボリュミーで丸みを帯びた仏様でした。

藤原の鎌足像 厨子に入った30cmくらいの小さなお像です。衣冠束帯姿です。こちらも通常の束帯より、ボリュミーな着付けでした。

石窯ガーデンテラスに、お仏像の写真があります。

開山堂の一般公開は、年に一度梅かまくら特別参拝になるそうです。
浄妙寺 右 非公開の開山堂 左 本堂

浄妙寺 右 非公開の開山堂 左 本堂

浄妙寺とは

  • 宗派 臨済宗建長寺派
  • 寺号 稲荷山浄妙寺(とうかさん じょうみょうじ)
  • 創建 文治四年(1188)
  • 開山 退耕行勇
  • 開基 足利義兼
  • 本尊 釈迦如来

鎌倉五山第五位の稲荷山浄妙寺は文治四年(1188)、源頼朝の重臣、足利義兼が退耕行勇を開山として建立した臨済宗建長寺派の古刹。(略)

瓦葺きの総門を抜けると梅や柏槙が植えられた境内を本堂へと石畳が伸びる。境内は国の指定史跡にもなっている。本堂には本尊の釈迦如来像や、子宝と婦人病に御利益があるという淡島明神像がまつられている。本堂左手には喜泉庵という庵が復元されている。かつては僧たちが会して茶を喫した庵で、枯山水を眺めながら抹茶をいただくことができる。

鎌倉の寺 小事典

浄妙寺 庭園

浄妙寺 庭園

浄妙寺のアクセスデータ

浄妙寺の情報データ

webサイト 石窯ガーデンテラスのサイト内https://ishigama.info/about_jomyoji.html
住所 神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
電話 0467-22-2818
入場時間 9:00~16:30
拝観料 大人100円 小人50円
トイレ公衆トイレがあります

浄妙寺アクセス

最寄駅:JR横須賀線線鎌倉駅・江ノ島電鉄鎌倉駅 東口

バス :京急バス、鎌倉駅 ⇔ 金沢八景駅・鎌倉霊園太刀洗行・ハイランド循環行

浄明寺バス停下車 2分

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2016年3月20日初出
2017年5月12日改訂
2018年2月3日改訂
2019年6月25日改訂
2022年2月23日改訂
2022年6月2日改訂
2022年12月12日改訂

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