東慶寺はビジュアルのよいお寺です。
どこを向いても絵になる。どこを撮っても様になる写真がとれる、東慶寺はビジュアルの良いお寺です。人気のあるのもうなずけます。
谷のことを、このあたりでは谷戸(やと)といいます。谷戸の入り口にお寺の門・山門(さんもん)があり。手前の広いところに本堂など、建物がたっています。
奥の杉林に続くあたりが、墓苑になっています。杉木立、苔むした岩、四季の花々、環境的にも美しいです。
歴史的に尼寺であったことで、女性の感性をこの寺は大切にしています。
目次
東慶寺の見どころ
境内、四季の花々が美しいです。
東慶寺さんのは格別です。観光寺院が多い鎌倉は、庭が素敵なお寺が多いのですが、こちらほど、花が豊かなお寺はないようです。

東慶寺

東慶寺
本堂
木造の近代的なモダンなお堂です。折上式格天井など、伝統的な寺院デザインを生かしながら、現代人の美意識を満足させるお堂です。
御本尊は 釈迦如来 室町時代

東慶寺 本堂前の門

東慶寺 雨の本堂
松岡宝蔵、宝物見れて、お洒落なお土産も買えます。
本堂の先の土蔵造りの建物は、松岡宝蔵といいます。観光客でにぎわっています。ここでお洒落なお土産を買ってみましょう。寺の宝物が見れますので、入ってみてください。(時間・入場料については、最後のアクセスデータを読んでください。)

東慶寺 松岡宝蔵と梅
豊臣秀頼の娘・天秀尼、小林秀雄、和辻哲次郎など有名人が眠る。墓苑
東慶寺の奥に進むと、杉木立のなかにお墓が、墓苑になります。いつ行っても、多くの観光客が散策しています。サイトに墓苑の地図がでています。
後醍醐天皇皇女の用堂尼の墓
墓苑の向かって右側の石段を登ると、東慶寺代々の住職の墓があります。用堂尼の墓は宮内庁が管理して、専用の石段があり、やぐらもよく整備されています。
用堂尼は南北朝時代の後醍醐天皇の皇女で、鎌倉で非業の死をとげた護良親王の兄弟です。皇女が入山したことにより、「松ヶ丘御所」と称されました。
天秀尼の墓と甲斐姫?の墓
天秀尼は豊臣秀頼の娘で、大阪夏の陣で大阪城が落城した時、正室の千姫が助命嘆願の末、東慶寺の尼になりました。衰退しかかった東慶寺を再興したので、より大きな墓です。

東慶寺 豊臣秀頼の娘 天秀尼の墓
天秀尼の墓の隣に、周囲が僧侶の墓の卵塔ばかりなのに宝筐院塔が立っています。これは一説によれば、「のぼうの城」で活躍した忍城主成田氏長の娘で、豊臣秀吉の側室、甲斐姫ではないかと言われています。天秀尼の養育係りで生涯寄り添っていた説があります。(あくまでも一説です。)甲斐姫が関東出身なので出来た説だとも思うのですが。
甲斐姫でなくとも、身分の高い女性で、天秀尼のそばにいた女性の墓でしょう。

東慶寺 天秀尼の墓の隣の宝筐院塔

東慶寺 墓苑
水月観音を拝見しましょう。上級者におすすめ。
「東慶寺は、何度も行っているわ。」とう鎌倉上級者にみなさんに、水月観音菩薩の拝観はいかがでしょうか。観音菩薩がすわる像は、鎌倉あたりでしか見られないものです。その中でおしゃれで、女子力があるのがこちらの像です。
東慶寺訪問が、決まったらサイトを見てください。水月観音が境内の松岡宝蔵で公開なら、何もしないで、当日こちらで見ましょう。
公開してなかったら、水月観音特別拝観を、電話かメールで申し込みましょう。
TEL: 0467-22-1663
水月堂に案内されて、拝見できます。金のバックに黒漆の丸窓。お寺のお坊さんが、「ベストです。」という、まつり方をしています。素敵です。

東慶寺 水月観音 http://www.tokeiji.com/heritage/suigetsu-kannon/
三年前の春に問い合わせたら、九州(歴博?)に行かれてらしゃいました。
梅かまくら特別参拝 2016年
鎌倉十三仏詣が主催する、梅かまくら特別参拝に参加しました。梅が満開で、説明のお坊さんが、「梅が早い」とぼやいておりました。
2016年2月29日13時30分に、山門前に集合。当日は雨でした。書院の玄関から、本堂へ。

東慶寺 書院
本堂で、お坊さんに説明を受けました。
本尊釈迦如来の両脇にまつられている、北条時宗夫人で開山志道尼。御醍醐天皇の皇女、五世用堂尼。豊臣秀頼の娘で20世天秀尼。
明治時代に男僧の寺になってから、世界に禅を知らしめた、釈宗演・鈴木大拙らを紹介しながら、話てくれました。
本堂の隣の水月堂に移りました。水月堂は、新大久保(大久保から中野のあたりは、旧華族・家元のお宅が、集まっている気がします。)にあった、加賀前田家の持仏堂を昭和34年に移築したそうです。
水月観音様まつられている。丸窓は、ぴったり合うのだそうです。このときは松岡宝蔵に出展していたので、お坊さんが「セクシー」と言ってしまう、高村光太郎の観音立像がまつられていました。これはこれで、レアな体験をしました。
隣の部屋が茶室で、茶会の室礼も見れて、よかったです。

東慶寺 右 水月堂 左 本堂
その後、松岡宝蔵に移り、天秀尼の像と、水月観音菩薩についての説明と、駆け込み寺の説明をじっくりしていただきました。
今、東慶寺の門前には、北鎌倉駅とカフェくらいしかありませんが。江戸時代、3軒の旅館がありました。さらに東慶寺内には多数の離婚した駆け込み女が、3年間の奉公をしていました。
江戸時代とは、大きく様子が違うのだろうなと思いました。(この辺で暮らしているのですが、日常がふと別のセカイに見えたました。)
本堂・水月堂・松岡宝蔵 ともに撮影禁止なので、写真はありません。

東慶寺 椿
三渓園に仏殿が移築されています。
横浜の三渓園に東慶寺の仏殿が移築されています。室町時代のものとも、江戸時代初期に天秀尼が復興した建物ともいわれています。

三渓園 旧東慶寺仏殿
場所は松岡宝蔵の後ろの、この石仏があるあたり。

東慶寺 庭園の観音菩薩の石像
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東慶寺とは
宗派 臨済宗円覚寺派
山号寺号 松岡山東慶総持禅寺(しょうこうざん とうけいそうじぜんじ)
創建 弘安八年(1285)鎌倉時代
開山 覚山志道尼
開基 北条貞時
本尊 釈迦如来
“縁切り寺””駆け込み寺”の名で広く知られる。かつて尼寺として栄え、「縁切寺法」で多くの女性を救った。(略)明治4年(1871)に廃止されるまで、約六百年にわたり受け継がれた。明治三十六年(1903)には尼寺から臨済宗円覚寺派の寺となった。
開山の覚山志道尼は八代執権北条時宗の妻。法名は無学祖元から受けたという。後醍醐天皇の皇女だった五世用堂尼以来栄え、高い寺格を誇った。「松ヶ丘御所」とも呼ばれ、室町時代には鎌倉尼五山第二位に列せられた。二十世天秀尼は豊臣秀頼の娘で、徳川家康の孫娘・千姫の養女でもあったため江戸時代には徳川家の厚い庇護を受けた。
鎌倉の寺 小事典
アクセス方法
webサイト: | サイト http://www.tokeiji.com/ Facebook www.facebook.com/shokozan.tokeiji/ Instagram https://www.instagram.com/tokeiji_temple/ |
住 所: | 神奈川県鎌倉市山ノ内1367 |
電 話: | 0467-22-1663 |
メールアド: | info@tokeiji.com |
駐 車 場: | なし |
入場 時間: | 冬季:8:30~16:00 夏季:8:30~17:00 松岡宝蔵 9:30~15:00 休館日月曜日 |
喫 煙: | 全域禁煙 |
拝 観 料: | 一般100円 小・中学生100円 松岡宝蔵 常設展400円 特別展500円 ※小中学生 一律200円(税込) ※団体割引(15名以上) 特別展のみ500円→400円 |
クレジット カード : |
VISA・Master・JCB・ニコス・ダイナース・AMEX Suica・銀聯 |
御朱印受付: | 有り |
設 備: | 段差なし(スロープ有)・補助犬歓迎 |
アクセス方法
最寄駅:JR横須賀線線北鎌倉駅 南口より徒歩3分
バス :江ノ電バス 鎌倉駅⇔大船駅・上大岡駅・本郷台駅行 北鎌倉駅バス停下車2分
北鎌倉 山ノ内の紹介
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東慶寺
円覚寺 建長寺 宝物風入れ
2016年12月6日加筆
2019年6月9日改定